生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の情動は、その場の雰囲気に支配されますが、そればかりでなく、成育史上の理想にも支配されていきます。その場に流されながらも成育史上の理想、こうありたい、という熱い想いが咄嗟にその場の情動に上乗せされていくものです。あ、しまった、大人げない感情に流されてしまったと思うのが普通の人の人生です。藤原不比等との力関係の中で、どうも持統天皇はその情動に振り回され晩年は藤原氏にしてやられていく自分の人生に悔しい想いをしているようです。してやられた、と想いながら自死を選んだのか、毒殺されたのか、誰も知りませんが、古代史は不思議な想像を私を駆り立てます。

下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:
命題6:情動は、前述のような目標指向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関連しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。



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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を含めて、人間の行動は、基本的には、知覚されたままの場において、自分が、感じたままの要求を満足させようとします。自分はどんなに理性的な人間だ、と思っていても、謙遜に反省すると、この営みをしている事に気付きます。持統天皇の人生を見ていると、まさに、教科書通りの生き方をしています。自分の行動をもし理性だけでしていると考えている人がいたとしますと、その人の意識は少々問題が潜在しているでしょう。必ずいつか神経症的な身体症状が出てきます。学者に多い神経症です。理想で人を裁く人にも、この傾向があり、おつきあいしても楽しくありません。この命題5をしっかりと理解したうえで自他を「愛と許し」で許容していく人生を送らないと愛の孤独感に苛まれだすこととなりそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の生命力は何処を見て判断するかと言いますと厳しい現実を明るく爽やかに元気に生き抜いていく力で識別します。私もそうですが、多少の厳しさは経験と知識で強化されますが、物凄いストレスの時は我を失い元気をなくします。生身の人間はそんなものですから心配は不要ですが持統天皇は4才の頃、母方のおじい様の塩漬けの生首を見ているようですので、その衝撃は大変なものだ、と推察出来ます、この事件でお母さんは錯乱していきます。こんな辛い現実を体験しても逞しく生きていく持統天皇を支えたものは何だったのでしょう?色々の恐ろしい事件に巻き込まれながら権力を握らないと生き延びられない環境に居直り逞しくなります。基本的に権力を大事にする傾向と渇望は生涯変わりませし、どんどん強化していく歴史が垣間見られます。この傾向を意識していたか、無意識なのかは誰も知るよしがありません。ただ歴史を見るとその逞しい傾向には驚きます。現代人の私達は生き甲斐の心理学の原理を知っていますので、この自分の傾向を知るとセルフコントロールが上手になり、余計なストレスは半減します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
諦めて自死を選択する人生もありますが、持統天皇は、そう簡単に自死は選びませんでした。藤原不比等という人物はなかなかの逞しい男性ですが、相反する立場があるにもかかわらず、持統天皇はこの男を利用し、利用されるのを意識しつつ、生き延びていきます。そのかけひきは一つの体制化された歴史全体の流れの中で、生き延びる可能性に反応して生き延びていきます。自分の理想を断念しないこの女傑の生きざまを倫理道徳の規準で裁く前に、生命力という視点で観察してみて下さい。簡単に自死を選ぶのは神様からの恩寵を無視する事にもなりかねない思想です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人はそれぞれの成育史の中で育まれた理想像を所持していますし、それが意識、無意識の内に人生を左右しているのも、何となく知っているようです。子供の頃、仲良く遊んでいても、大人になり結婚し、立場が違うようになると、その理想像は厳然として所持していても(甥は可愛いし、大事にすべきである、という理念は生身の人間ならば当然、所持しています)、厳しい人生と利害得失がからむ公私の生活の、それぞれの緊迫した場面ともなれば、その場で知覚されるままのものに、反応するものです。こうして持統天皇も姉の息子(大津皇子)を追い込み悲劇の歴史が展開していきます。人はその場、その場に反応し、その知覚がその人の実存(riality)として対処され生き延びていくようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は優しい性質がありますので、とかく遠慮して、ついつい相手を立ててしまい、あとで悔いを残して、歯ぎしりしています。これはこれでしかたがないと思いますがストレスを感じて身体症状を出すまで遠慮するのは健全とはいえません。挙句の果てに入院などしては、かえって周囲の人々に迷惑をかけることとなります。持統天皇の生き方を見ていますと、ある時期は遠慮しますが、なかなかの大人物で夫君である天武天皇とともに壬申の乱を共に闘いぬくような女傑です。私は私、という生き方はとても重要な生き方です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が生まれた年の歴史はその人の生涯に大きな影響を与えます。私は台湾でうまれましたが、その影響は良い意味でも悪い意味でも私の人生に大きな影響を与えています。皆様はいかがですか?その年の世界史、日本史を一度思索すると、今後生きていく上で、無駄なエネルギーを消耗せずにすむことがあります。私が誕生した年に2.26事件(陸軍将校が首相官邸を襲撃)がありますが持統天皇の誕生の時に大化の改新がありました。しかも自分の父親が関わっています。皆様も一度、自分の誕生の年に世界と日本で、どんな事件と歴史があるかを、楽しみながら調べておいて下さい。この社会環境を調べておくと案外、この嫌な性格は自分の努力がないから、そうなったのでなく社会環境のせいだ、と理解出来、イライラしなくなります。社会環境に由来する嫌な性格なのか、自分の怠り、修行不足に由来するものかを明確にしておくことが心理療法家の大事な勉強となります。私の同じ世代はお腹が空くと何となく人生が哀しくなる傾向があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私達の勉強会では持統天皇の話題がしばしば出てきます。とても面白い天皇で、かつ、刺激的です。持統天皇の存在は現代の日本人の生き甲斐を支援していく上で、どうしても必要な勉強なのです。日本人のアイデンティティを思索するときに、とても大事な天皇なのです。これから暫く持統天皇を現代の日本人が幸福に生きていく為に考察していきます。視点は歴史ではなく生き甲斐の心理学の視点です。もののあわれ、汚れと禊、恥の文化、甘えの構造、わびとさび、幽玄美、この6つを生き甲斐の心理学で分析しつつ、現代人の生き甲斐を明るく元気に爽やかにしたい一念で書いてみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大部前の話ですが、しみじみ感動した思い出があります。人生では大勢の人々に教えられますが京都での録画撮りでのテレビディレクターの知恵と親切さには心から感謝しました。今までテレビの視聴者の心などは考えた事のない私でしたが(もともとテレビ出演は単発で2回経験はしましたが撮影で頭が熱くなりわけがわからない感じなので反省どころではありませんでした)、京都スタジオに月1度訪問し2-3回分録画していく大仕事でした。ディレクターは長年の経験から視聴者の心境をそれなりに熟知されていて、その経験に照らし合わせつつ私の専門用語を修正していくわけですが、私の世界ではその基礎用語を他の言葉に置き換えるとかえって理解が得られないと確信している領域で多少心の中で互いに火花が散ります。しかし互いに誠意をつくしていると互いが成長していくのも感じましたがそれぞれの専門世界を愛と信頼で語り合える相手に恵まれた私は幸せでした。当時のディレクター氏、今も元気だとは思いますが、心から感謝しています。このブログを読んでくださっているといいのですが。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私たちのNPO法人の理事会は本当に真面目で誠実で人間好きの人々ばかりです。現在は、私は引退していますが、新しい理事の方々は大変仲良く仕事をこなしておられます。色々の課題を楽しそうに話し合い、正直な意見のもとに、運営されています。法律の改正もあり多くのNPO法人も厳しい法律が嫌になり廃止する事例も沢山ありますが、私達の生き甲斐の心理学を普及する教育事業体は、小さいけれども人々は大事にしあいながら人生を楽しんでおられるようです。私は本当に幸せ者です。同志に心から感謝します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに素敵な場所への旅でも、旅の仲間と暖かい関係になければ、その旅はどうなるでしょう?私は本当に良い旅を楽しみました。身心ともに健康で、信仰心もこりかたまっやような偏屈な感じもしない自然な人間の味がする人々と旅を楽しみました。気の合う人との旅は、魂の会話も楽しめます。明るく爽やかな空気なので、その親しい人々との旅はこの世の天国のようなものです。どうしてこのような幸せを私はいただけるのだろう?若い頃、色々の危険な旅をしただけに、ここ10年の人間模様は恩寵としかいいようがない。天に感謝したい心境です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔、しばしば日本では、大人から「恥を知れ」とお説教されました。また、海外で生活していると、外国の方から日本人は恥を意識しすぎた民族で、愛の為に動くのではなく、恥を感じない為に生きているね、とか、、真面目すぎるとも言われました。褒め言葉と皮肉の言葉でしたが、とても大事な日本文化の一つだと思います。和を大事にしつつ恥を意識する、愛を大事にしつつ恥を意識する、この精神文化を益々良きものとして人類の平和に繋がれば、平和共存、に繋がり、人類にとりましても大事な文化といえるでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本文化での「汚れと禊」は、とても重要な精神文化です。過日、故郷の長岡に墓参りにいってきました。長岡藩歴代藩主のお墓が悠久山公園の蒼柴神社の境内にあり、そこも歴史散歩をしたのですが、帰路、ふと神社の正殿を見ますと若い女性たちが神主さんからお祓いをしてもらっている風景を見ました。あ、あ、これも良い事だなあ、と思いました。汚れと禊の場面、何をお祓いしてもらったかは不明ですが、私にはそう見えて美しい場面だ、と一人感心したわけです。彼女たちは清々しい気分で神社を後にした事でしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私たちの勉強会で「日本人のアイデンティティーについて」を勉強します。飛鳥奈良時代の古事記、万葉集から、平安時代の源氏物語、鎌倉時代の平家物語まで、色々と楽しみます。そうした先輩達が生み出した文化が、いつのまにか日本人のアイデンティティーとなり、現代社会にまで残る6つの日本人のアイデンティティー、つまり汚れと禊、恥の文化、甘えの構造、もののあわれ、幽玄美、わび・さび、の6つです。この事について暫く思索してみましょう。この6つは現代人に病理をもたらす場合もあるでしょうが、案外、病理でなく、日本人の美意識として扱えば、健全な精神として人間を美しくする要素でもあります。時々この6つの意識を病理と勘違いして薬を飲ませる事例がありますので、この問題を暫く考えてみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私が信じている魂論は「魂は永遠不変のもので、老いる事もなく病むこともない、自由意思を所持し、感覚的なものも理解し、臨終と共に身体から離脱する知的生命体である」という定義をしています。誰が言い出した、とか、その根拠とは何か、などと聞かないで下さい。とにかく、そう信じているのです。この信じ方をすると人類の歴史での「神は愛なり」という定義を本当かなあ、と私の正中線を揺るがすのです。この自問自答が私の生きる喜びです。多分、死ぬまで、この自問自答は続くでしょうが、この錯乱と統合が私にとり何とも言えない快感なのです。哲学の源、自己成長のエネルギーでもあります。神は愛なり、本当かなあ、という疑問はとても楽しい人生での課題です。その課題に挑戦しつつあちこちの大学主催の学会に、またはwsに参加してきましたが悔いのない人生です。
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