【4分で分かる】紫式部の娘 藤原賢子の生涯 #光る君へ
NHK大河ドラマ「光る君へ」で久しぶりに里帰りしたまひろと再会した娘賢子(梨里花)の姿が我々視聴者の注目を集めました。賢子がまひろに対し「母上が賢妻でないから私はこんな貧しい家で暮らさなければならないのでしょう?」と徐々に感情を収められなくなる賢子。まひろが「宮仕えは賢子のため」というまひろに「うそよ!」と反論しまいには「母上なんて大嫌い!」と外へ飛び出し泣いていました。この娘賢子はまひろとは正反対で明朗活発、才女として成長、男関係も派手に展開し、モテモテの女性であり和歌にも秀で百人一首にも第58番に57番母の紫式部の次に掲載されております。
有馬山えなのささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位
「有馬山から猪名野の笹原に吹くと笹の葉がそよそよと鳴りますねその「そよ」ではありませんが、お忘れになったのは貴方です。私がどうして忘れるでしょうか。」「賢子は高階成章と結婚。藤三位大弐三位と称されました。」宇治十帖の作者ともされています。さすが紫式部の娘さんですね。