古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十八章 潮御崎神社・古記録その百二

2013年09月25日 05時31分38秒 | 古文書の初歩

潮御崎神社古記録のまとめ(二)、三ヶ浦申し入れに付き大庄屋宛て口上

① この神社記録は、潮岬会合(18ヶ浦)の中心的存在であった、大嶋・出雲・串本の三ヶ浦が、会合の場であった潮御崎神社を我々(三ヶ浦)共同所有のお宮であると寺社奉行宛報告書に書く様、強硬に申し入れした顛末『てんまつ』に始まり、神社対三ヶ浦のやりとりを記録した文書です。一貫して三ヶ浦の強気な態度と、御崎神主の毅然としたはねつけ(断り)が特徴的な文書です。 

② 三ヶ浦よりの最初の文書はここでは出て来ませんが、内容は、「この度の寺社お改め(寺社検査)」の提出書類には、きっと我々三ヶ浦持ち合いのお宮だと書いて提出して下さる事と確信していますが、念のため申し送ります。」と言う内容です。

③ これに対し、潮御崎神主は、大庄屋に宛てて、三ヶ浦の申し入れが如何に不当な内容であるか、一つ書きの形で丁寧に説明しています。

大庄屋宛て口上 

一、潮御崎神社は、神代の時代の少彦名命『すくなひこなのみこと』を祭神とする、古来から代々続く大社で、畑二石七斗余、山野七、八町歩を天皇様から下賜されたとの言い伝えで所有しています。 

二、当神社は代々私の家が神主として、他に持ち合いの神主も無く、名誉ある独り立ちの神主に間違い御座いません。 

三、お宮建物破損の時は、国の役人様へ申請し、浦々の寄付を集め修復してきました。 

四、浅野家の時代に、お宮が破損した時は、新宮城主へ御願いし、寄付集めの許可を得て、和歌山の加太より、奥熊野の錦浦までの船持ち連中(注参照)が寄付してくれ、寄付金が不足したので、再度御願いしたところ、材木並びに杉桧板を下さり、更に新宮城内御家中の皆様が寄付してくれ、屋根葺きや造営が出来ました。 「注」・・・このお宮は、漁業や海運業の守護神である海の神様です。続く