潮御崎神社古記録まとめ(三)、三ヶ浦申入に付き大庄屋宛口上
五、寛文4年(1664年)神社が破損したので、大庄屋殿のお取り次ぎで、郡奉行や御代官に御願い申し上げたら、和歌山へ直接陳情しなさいとの事で、たびたび和歌山へお伺いしたところ、訴えが認められ、前々からの規則通り藩内の漁業海運関係者は、加太浦から伊勢松崎まで残らず寄付してくれました。然し、まだ現金不足だったので、翌年再度郡奉行、御代官様へ陳情しましたら、少しくらいなら地元の氏子に協力させよとのお申し付けで、大庄屋殿のお指図で、神社の山野や村内に生えている竹、全部伐らせて四百束余り、その他苫、五百畳村内より供出し、各地で売却し不足分の足し金にして、屋根葺きなど修復出来ました次第です。
六、本年(元禄7年・1694年)閏5月13日、大嶋浦庄屋・作左衛門・出雲浦庄屋・平兵衛・串本浦庄屋・善之丞以上三人の方より、このたび寺社お改め(定期検査)に付き、提出書類に「御崎神社はこの三ヶ浦所有の宮であります。」と書いて報告する様にと、新しい事を急に言ってきましたが、前々から当上野浦の提出書類に書いて出した通り、御崎神社は私共の所有の宮ですと返事しましたら、その後も色々な事を申して参りましたが、全体に納得出来る内容ではありません。三ヶ浦側は、私どもが前記の要請を受け入れませんでしたら、共同して大庄屋様まで釈明申し上げたそうで、次に私をお呼び出しなされ、お尋ねされたので、あらましを申し上げましたら、口上(説明書)を書いて出す様にとのご指示でしたので、当神社の今までの行事を書き上げて、ここに提出する次第で御座います。 (続く)