かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 219(中国)

2019-04-17 20:12:09 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
    【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)175頁
    参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


219 敦煌の杏乾びて早き秋『史記』は李将軍の杏を載せず

     (レポート)
 今、馬場先生は、敦煌の街中で、いろいろな果物を売る店頭の景観を楽しんでおられる。するとそこに「李広杏」と記された果物を発見された。「ホウ、李広将軍とは『史記』にあるアノ李広将軍のことか。」と。シルクロードの果物と言えば、西瓜と葡萄、それにマクワウリなどがよく写真で見受けられるが。(T・H)


     (まとめ)
 馬場あき子の朝日新聞に載ったエッセー「李将軍の杏(あんず)」(2001年12月19日付け)によると、敦煌の休日、自由市に山盛りの干し杏が売られていて「李広杏」と書かれていたという。上記エッセーの中で干し杏は「天然の蜜の粘りを泌ませていかにもおいしそうに燿いている」とあるので、もう早い秋が来ている敦煌で「乾びて」いるのは木に残った杏のことだろうか。以前から好きだった李将軍の名を冠した杏が名産として売られていた発見と興奮がこの歌から読み取れる。それなのに『史記』の「李将軍列伝」には、李将軍が杏を植えた記事が出ていない、それが馬場には疑問なのだ。
 ネットのによると、「西漢時代の名将李広が大宛を征伐した後、新疆からもちかえった」
(中国現代グルメ情報)ことから李広杏の名が付いたとある。(鹿取)


コメント
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