かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 215(アフリカ)

2019-04-13 19:59:38 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の旅の歌28(2010年5月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)171頁~
     参加者:曽我亮子、F・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


215 近江の飛天駿河の飛天みづいろの天にしばらくありて離(か)れしと
     
          (レポート)
 羽衣伝説のある近江、駿河ともに美しい風光が頭をよぎる。「近江」には琵琶湖の水の映える天、
「駿河」には富士の峰を青が漂う天がある。どちらもまさしく「みづいろの天」のもと、「飛天」たちの物語が想像される。双方の「飛天」は羽衣伝説のように人間と縁をもったであろう。しかし来たる別れに想いを込めて「天にしばらくありて」舞うのであるが、人間と暮らしたであろう期間までも、このフレーズにこめられていよう。このように想いが広がるのは、結句の最後、伝聞の「と」
の効果だと考える。さて、仏教伝来に伴い、シルクロードの空を来たのであれば日本は最終地のように思うが、どこへ「離れし」なのだろう。生まれ国へ帰ったのであろうか。枕草子26段に〈舞は駿河舞〉とあるが、飛天の舞をイメージして仕立てられたものだとすれば、古代のロマンがかきたてられる。(慧子)


      (まとめ)
 「飛天の道」を締めくくる抒情的な一首。この歌は人間と暮らした飛天の歌では無く、一時の出会いの後の別れであろう。近江や駿河の伝説はいずれも水浴のため衣を脱ぎ、それを人間に奪われるが舞を舞うことを条件に衣を返してもらう。羽衣を返してもらった飛天は舞いながら天に昇ってゆくのだが、別れを惜しんで天にしばらく留まっていてから去っていったという。「みづいろの天」が効いており、はろばろとしたさみしさがただよう。(鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする