馬場あき子旅の歌41(11年7月)【風の松の香】『飛種』(1996年刊)P136~
参加者:K・I、N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
302 空へ空へとアテネ神殿の柱伸び風は崩壊を美しくする
(レポート)
今、馬場先生は、アノ有名なギリシャのアテネのアクロポリスの神殿の前に立っておられる。そこには今から二千数百年も前に、繁栄したであろうギリシャの政治の中心であった証拠の神殿の列柱のみが立っている。(屋根は崩壊し、柱だけが高く伸びている)「風は崩壊を美しくする」二千数百年の風雨にさらされてきた神殿はその大部分を失い、すっきりと伸びた柱だけが残っている。それは崩壊の跡なのであるが、その列柱は美しい。アテネのアクロポリスは外敵防御の意味から構築されたというが、宗教・政治の中心で、神殿・公共的な建物・政庁などがあった。私達は、この神殿の柱について、イオニア式だとかドーリア式だとか教科書で習った。(T・H)
(当日意見)
★空に柱だけが伸びていて、秋の季節ですから風が柱の間を吹き渡っていたのでし
ょうね。柱の様式については私も調べました。いちばん古いドーリア式の柱は柱
基がなく、どっしりして上部がやや細いものでアテネのパルテノン神殿が有名で
す。イオニア式は紀元前6世紀半ば頃からのもので、柱基の上にドーリア式より
ほっそりした均等の柱が立ち、柱頭に渦巻き飾りがあります。次の303番歌(エ
フェソスのこの雄大な考古学さつと吹き過ぎ風の松の香)にエフェソスが出てき
ますが、そこにあるアルテミス神殿がイオニア式だったそうです。ただし、現在
は127本あった円柱が1本残るだけで建物は何も残っていません。更に時代が
下ったコリント式は、柱基の上に溝が彫られた細身の柱身が立ちます。柱頭にア
カンサスの華麗な装飾が施されているのが特色です。ローマのパンテオンが有名
です。(鹿取)
(まとめ)
神殿の柱が空に伸びる風景と聞いてわれわれが真っ先に思い浮かべるのは教科書でもおなじみの、アテネにあるパルテノン神殿であろう。しかしあれはアテネ神殿ではない。どうもアテネ神殿という固有名詞は存在しないようだ。するとこの歌のアテネ神殿とは何を指すのだろう。パルテノン神殿はアテネにあって女神アテナイを祀っているので普通名詞風にアテネ神殿と呼んでもまちがいではない気もする。ただエーゲ海を隔ててトルコの対岸に位置しているとはいえ、はたしてこのトルコの旅で国境を越えてギリシャまで足を伸ばしただろうか。さらに言えば歌集のトルコの旅行詠50余首の内この歌一首だけがギリシャの歌だというのも変である。吟行の旅の同行者に尋ねても、この折の旅行はトルコのみでギリシャに立ち寄ったことはないそうである。
よって、この歌はトルコのベルガマにあるアテナ神殿を歌ったものではなかろうか、と最初私は考えた。(ベルガマは次の303番歌「エフェソスのこの雄大な考古学さつと吹き過ぎ風の松の香」にも出てくるエフェソスからバスで3時間の距離にあり、紀元前3世紀に築かれ100余年間繁栄した「ベルガモン王国」の遺跡が残る町である。)このアテナ神殿はベルガマの「アクロポリスの丘」(「高い所」を意味する普通名詞なので、ギリシャ、トルコをとわずいたる所にこの名前の丘はある。)に建っている。ベルガマのアテナ神殿はパルテノン神殿と同じドーリア式であったが、残念ながら今は礎しか遺っていない。つまり空へ伸びる柱は無い。
だが、このベルガマのアテナ神殿に隣接してトラヤヌス神殿がある。紀元後2世紀にローマ皇帝ハドリニアヌスが先帝のトラヤヌスに捧げた総大理石の神殿だ。この神殿には美しい柱が遺っていて空へ空へと柱が伸びている景はギリシャのパルテノン神殿に似ている。しかもアテナ神殿に隣接しているため、ネットではこのトラヤヌス神殿の映像をアテナ神殿と誤って掲載しているものも多数見受けられる。もっとも馬場がネットから情報を得ることはないのだが。また、パルテノンはドーリア式、トラヤヌスはコリント式で柱の形が異なるが、この歌では柱の形は問題にされていない。もっともトルコのエーゲ海沿岸には他にもミトレス、ディディムなどの古代遺跡があり、アテネ神殿とは名称こそ違うが屋根は崩壊して柱のみが林立する神殿跡は他に何カ所もある。それらの映像や距離も比較検討してみたが、掲出歌で作者が実際目にしているのは、ベルガマのトラヤヌス神殿であろうというのが私の推論である。次の歌に出てくるエフェソスから近く、名称が似ている「アテナ神殿」の隣にあるからである。つまり作者は「アテネ神殿」だと思って、実際は「ベルガマのアテナ神殿」に隣接する「トラヤヌス神殿」を見ていたという解釈である。「風は崩壊を美しくする」というやや抒情的に過ぎる下の句は遺された柱だけでも充分に美しいその景への感嘆であり、失われてもう眼前には無い全き神殿の姿への愛惜でもあろう。(鹿取)
参加者:K・I、N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
302 空へ空へとアテネ神殿の柱伸び風は崩壊を美しくする
(レポート)
今、馬場先生は、アノ有名なギリシャのアテネのアクロポリスの神殿の前に立っておられる。そこには今から二千数百年も前に、繁栄したであろうギリシャの政治の中心であった証拠の神殿の列柱のみが立っている。(屋根は崩壊し、柱だけが高く伸びている)「風は崩壊を美しくする」二千数百年の風雨にさらされてきた神殿はその大部分を失い、すっきりと伸びた柱だけが残っている。それは崩壊の跡なのであるが、その列柱は美しい。アテネのアクロポリスは外敵防御の意味から構築されたというが、宗教・政治の中心で、神殿・公共的な建物・政庁などがあった。私達は、この神殿の柱について、イオニア式だとかドーリア式だとか教科書で習った。(T・H)
(当日意見)
★空に柱だけが伸びていて、秋の季節ですから風が柱の間を吹き渡っていたのでし
ょうね。柱の様式については私も調べました。いちばん古いドーリア式の柱は柱
基がなく、どっしりして上部がやや細いものでアテネのパルテノン神殿が有名で
す。イオニア式は紀元前6世紀半ば頃からのもので、柱基の上にドーリア式より
ほっそりした均等の柱が立ち、柱頭に渦巻き飾りがあります。次の303番歌(エ
フェソスのこの雄大な考古学さつと吹き過ぎ風の松の香)にエフェソスが出てき
ますが、そこにあるアルテミス神殿がイオニア式だったそうです。ただし、現在
は127本あった円柱が1本残るだけで建物は何も残っていません。更に時代が
下ったコリント式は、柱基の上に溝が彫られた細身の柱身が立ちます。柱頭にア
カンサスの華麗な装飾が施されているのが特色です。ローマのパンテオンが有名
です。(鹿取)
(まとめ)
神殿の柱が空に伸びる風景と聞いてわれわれが真っ先に思い浮かべるのは教科書でもおなじみの、アテネにあるパルテノン神殿であろう。しかしあれはアテネ神殿ではない。どうもアテネ神殿という固有名詞は存在しないようだ。するとこの歌のアテネ神殿とは何を指すのだろう。パルテノン神殿はアテネにあって女神アテナイを祀っているので普通名詞風にアテネ神殿と呼んでもまちがいではない気もする。ただエーゲ海を隔ててトルコの対岸に位置しているとはいえ、はたしてこのトルコの旅で国境を越えてギリシャまで足を伸ばしただろうか。さらに言えば歌集のトルコの旅行詠50余首の内この歌一首だけがギリシャの歌だというのも変である。吟行の旅の同行者に尋ねても、この折の旅行はトルコのみでギリシャに立ち寄ったことはないそうである。
よって、この歌はトルコのベルガマにあるアテナ神殿を歌ったものではなかろうか、と最初私は考えた。(ベルガマは次の303番歌「エフェソスのこの雄大な考古学さつと吹き過ぎ風の松の香」にも出てくるエフェソスからバスで3時間の距離にあり、紀元前3世紀に築かれ100余年間繁栄した「ベルガモン王国」の遺跡が残る町である。)このアテナ神殿はベルガマの「アクロポリスの丘」(「高い所」を意味する普通名詞なので、ギリシャ、トルコをとわずいたる所にこの名前の丘はある。)に建っている。ベルガマのアテナ神殿はパルテノン神殿と同じドーリア式であったが、残念ながら今は礎しか遺っていない。つまり空へ伸びる柱は無い。
だが、このベルガマのアテナ神殿に隣接してトラヤヌス神殿がある。紀元後2世紀にローマ皇帝ハドリニアヌスが先帝のトラヤヌスに捧げた総大理石の神殿だ。この神殿には美しい柱が遺っていて空へ空へと柱が伸びている景はギリシャのパルテノン神殿に似ている。しかもアテナ神殿に隣接しているため、ネットではこのトラヤヌス神殿の映像をアテナ神殿と誤って掲載しているものも多数見受けられる。もっとも馬場がネットから情報を得ることはないのだが。また、パルテノンはドーリア式、トラヤヌスはコリント式で柱の形が異なるが、この歌では柱の形は問題にされていない。もっともトルコのエーゲ海沿岸には他にもミトレス、ディディムなどの古代遺跡があり、アテネ神殿とは名称こそ違うが屋根は崩壊して柱のみが林立する神殿跡は他に何カ所もある。それらの映像や距離も比較検討してみたが、掲出歌で作者が実際目にしているのは、ベルガマのトラヤヌス神殿であろうというのが私の推論である。次の歌に出てくるエフェソスから近く、名称が似ている「アテナ神殿」の隣にあるからである。つまり作者は「アテネ神殿」だと思って、実際は「ベルガマのアテナ神殿」に隣接する「トラヤヌス神殿」を見ていたという解釈である。「風は崩壊を美しくする」というやや抒情的に過ぎる下の句は遺された柱だけでも充分に美しいその景への感嘆であり、失われてもう眼前には無い全き神殿の姿への愛惜でもあろう。(鹿取)