ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 おいたるダビデ
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
190 ゆあがりのかがみにみえてあきらけしおいたるダビデのあばらばらばら
「かりん」2002年5月号
作者の第一歌集『風木悲歌』(1993年刊)に「湯上がりの鏡たちまちくもらせてわれの裸身はさながら愛された者(ダビデ)」がある。その歌への後年になっての返歌であろう。
ダビデは周知のとおりBC十世紀ごろのイスラエルの王であるが、武術にも容色にも優れていたという。巨人ゴリアテと一騎打ちをして勝った話は有名である。また、フィレンツェのアカデミア美術館にあるミケランジェロ作の、緊張に満ちた美しい彫像を思い浮かべることもできる。
そのダビデのかつて美しかった裸身を老年になった清見糺は湯上がりの鏡をくもらせて見た。若い時のように立派ではなかったからだろう。するとそこには痩せてあばら骨が浮き出た姿がまざまざと写っていたのである。「あばらばらばら」と自分を揶揄しながら、さびしさは隠せない。
この歌、「ダビデ」だけが必要上カタカナで他は全てひらがなであるが、次に紹介する歌からは全てひらがなの歌が続く。
★東京歌会でかつて清見氏がひらがなばかりの歌を出したとき、会場からどうなの
かという質問が出た。その時、馬場先生が本人は当分これで行くのでしょうとお
っしゃっていた。(藤本満須子)
こんな発言もあるように、清見糺はこの年の四月から一二月いっぱい、ほとんどの歌を全ひらがなか、一部カタカナまじりで通している。かりんに載った全ひらがなの歌は六十余首だが、月十首投稿しているとして百首近くは作ったと思われる。
会津八一はじめ全ひらがなの歌はいろいろな作者が作っているが、その件は次回に書きたい。
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
190 ゆあがりのかがみにみえてあきらけしおいたるダビデのあばらばらばら
「かりん」2002年5月号
作者の第一歌集『風木悲歌』(1993年刊)に「湯上がりの鏡たちまちくもらせてわれの裸身はさながら愛された者(ダビデ)」がある。その歌への後年になっての返歌であろう。
ダビデは周知のとおりBC十世紀ごろのイスラエルの王であるが、武術にも容色にも優れていたという。巨人ゴリアテと一騎打ちをして勝った話は有名である。また、フィレンツェのアカデミア美術館にあるミケランジェロ作の、緊張に満ちた美しい彫像を思い浮かべることもできる。
そのダビデのかつて美しかった裸身を老年になった清見糺は湯上がりの鏡をくもらせて見た。若い時のように立派ではなかったからだろう。するとそこには痩せてあばら骨が浮き出た姿がまざまざと写っていたのである。「あばらばらばら」と自分を揶揄しながら、さびしさは隠せない。
この歌、「ダビデ」だけが必要上カタカナで他は全てひらがなであるが、次に紹介する歌からは全てひらがなの歌が続く。
★東京歌会でかつて清見氏がひらがなばかりの歌を出したとき、会場からどうなの
かという質問が出た。その時、馬場先生が本人は当分これで行くのでしょうとお
っしゃっていた。(藤本満須子)
こんな発言もあるように、清見糺はこの年の四月から一二月いっぱい、ほとんどの歌を全ひらがなか、一部カタカナまじりで通している。かりんに載った全ひらがなの歌は六十余首だが、月十首投稿しているとして百首近くは作ったと思われる。
会津八一はじめ全ひらがなの歌はいろいろな作者が作っているが、その件は次回に書きたい。