2022年度版 渡辺松男研究2の20・21(2019年3月実施)
Ⅲ〈薬罐〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P99~
参加者:泉真帆、岡東和子、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
154 木のうえにだあれもいない二月にて祖父は日のあたる石の上に座す
(レポート)
これは「だあれもいない」の語によって不思議な読後感をもった一首だった。下の句は堂々たる祖父の景としてもありありと伝わるし、石の熱量までも伝わってくる。しかし上の句はどうだろう。これは鳥も昆虫もすんでいない木と思ってみたり、夏は木にのぼり枝で涼をとる人がいるが二月ともなればそんな人もおらず誰はばかることなく木下に休息することができる、そんな光景かともおもった。(真帆)
152番歌(うら庭でこんにゃくだまを搗く祖父とくみあげ井戸と冬木のけやき)との関連で言うとこの「だあれもいない」木は欅だろうか。「だあれもいない」は確かに不思議な表現だが、ここは人間のことだろう。夏の間は子どもたちが面白がって登っていたという事か、葉を落とした冬の木の方が葉が邪魔しないので登りやすいように思うが、寒くて着ぶくれているので登らないのだろうか。石は木とは別の所にあると思っていたが、レポーターのいうように木の下だろうか。確かに冬木には葉が無いので日当たりはよいだろう。
石はどこにあっても陽に温もっていて、腰かけると暖かい。一仕事終えた祖父がその石の上で日向ぼっこをしている。その情景に幼い〈ぼく〉も安堵感とともに包まれているのだろう。
Ⅲ〈薬罐〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P99~
参加者:泉真帆、岡東和子、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
154 木のうえにだあれもいない二月にて祖父は日のあたる石の上に座す
(レポート)
これは「だあれもいない」の語によって不思議な読後感をもった一首だった。下の句は堂々たる祖父の景としてもありありと伝わるし、石の熱量までも伝わってくる。しかし上の句はどうだろう。これは鳥も昆虫もすんでいない木と思ってみたり、夏は木にのぼり枝で涼をとる人がいるが二月ともなればそんな人もおらず誰はばかることなく木下に休息することができる、そんな光景かともおもった。(真帆)
152番歌(うら庭でこんにゃくだまを搗く祖父とくみあげ井戸と冬木のけやき)との関連で言うとこの「だあれもいない」木は欅だろうか。「だあれもいない」は確かに不思議な表現だが、ここは人間のことだろう。夏の間は子どもたちが面白がって登っていたという事か、葉を落とした冬の木の方が葉が邪魔しないので登りやすいように思うが、寒くて着ぶくれているので登らないのだろうか。石は木とは別の所にあると思っていたが、レポーターのいうように木の下だろうか。確かに冬木には葉が無いので日当たりはよいだろう。
石はどこにあっても陽に温もっていて、腰かけると暖かい。一仕事終えた祖父がその石の上で日向ぼっこをしている。その情景に幼い〈ぼく〉も安堵感とともに包まれているのだろう。