かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 1

2025-03-14 13:43:52 | 短歌の鑑賞

2025年度版 渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)
 『泡宇宙の蛙』(1999年)【無限振動体】P9~
  参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子            司会と記録:鹿取未放 

                
◆『泡宇宙の蛙』の歌集の鑑賞に入る前に、「かりん」2010年11月号の渡辺松男特集で、大井学さんのインタビューに渡辺松男氏が答えた記事の一部を紹介しておきます。(鹿取)

 『寒気氾濫』は無意識的に設定している、ある枠のなかに大方納まっていると思いました。(その枠のおかげで受け入れてもらえたのだと思いますが)。『泡宇宙の蛙』はその枠をやぶろうとしたのだと思います。その枠のなかに、前提としている作歌主体そのものの自己同一性がありました。在ることの不思議、無いことの不思議、生命のこと、そういう次元を詠まなかったなら、私(に)とって歌は意味のないものになっていました。存在に寄り添うこと、それを掬うこと、それを包むこと、あるいは包まれること、それに成りきること、それらのことはいつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっているかぎり不可能なことでした。


1 森のかぜ茶いろのながれ光るなか無限振動体なるきのこ

            (まとめ)
 2番歌(倒木を埋めつくしたるうごめきのイヌセンボンタケ食毒不明)を読むと、「無限振動体」の映像的イメージが膨らむようだ。森には風が吹き、光が当たっている。そして「無限振動体なるキノコ」の圧倒的な姿が眼前に広がっている。第二歌集の巻頭歌で、思いのこもった深い歌なのだが、無限に振動している茸の姿を思い描くことができれば、この歌の思いは読者に届いているのかもしれない。(鹿取)
  
  
      (歌集評)
 森の風が流れるなか、揺れるはずのないきのこが一斉に無限の振動体となる。風が流れきのこが揺れるとき間違いなく「森は生きている」のである。(鶴岡善久)「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号) 

コメント
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