かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の228

2019-11-29 18:53:09 | 短歌の鑑賞
   ブログ版渡辺松男研究2の29(2019年11月実施)
     Ⅳ〈悪寒〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P145~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆    司会と記録:鹿取未放



228 すこしだけ話しかけてもよいでしょうか胡瓜の蔓に巻かれたき今

(レポート)
  春の畑作業に「胡瓜の蔓降ろし」というのがあるそうだ。実りをよくするために、上まで伸びた子や孫の蔓をカットし、下にある親蔓を生かす作業だという。それほど胡瓜の蔓は伸びやすく巻きつきが良いのだろう。ここでは胡瓜を前にして、「すこしだけ話してもよいでしょうか」と言いながら、胡瓜の蔓にさえ巻かれたいと思う寂しい心境の今を詠っている。なんだっていい、人やペットの猫や犬など体温のあるものでなくてもいい、植物、それもときには邪魔者あつかいされる胡瓜の蔓でも構わない、強く自分に巻きついてきてくれないか、そう思う。勝手に話しかけても何も言わない植物に対してでさえ、「すこしだけ話してもよいでしょうか」と許しを乞う、存在の儚さ、寂しさの極まる歌だ。寂しさの極まる歌ではあるが、読者をキリキリと追い込ようなことはせず、ほんの少しのユーモアを漂わせた一首にしている。
全く違う鑑賞として、一首の主体は「胡瓜の蔓に巻かれたき」心境の今、君へ、「すこしだけ話してもよいでしょうか」と尋ねている相聞歌としての鑑賞もできるのではないか。(泉)


(紙上参加)
 胡瓜の蔓は細くてくるくる巻き付く。そんな蔓に巻き付かれたい気持ちのするのはさみしい時でしょうか。だから、遠慮がちに「話しかけてもよいでしょうか と聞いている。そっとおずおずと細い巻きひげのようなめんどくさい柔らかさが欲しいのは、さみしいというより、臆病な愛の表現かもしれません。優しくてかわいらしい歌です。(菅原)


(当日意見)
★「胡瓜の蔓に巻かれたき今」は寂しい感じが出ている。上手ですね。(岡東)
★恋人に話しかけているのかな?下の句にちょっとひ弱な感じが出ていますね。(鹿取)
★上の句、下の句で切れるんでしょうかね?切れるなら話しかけるのは人。下の句で渡辺さんの
 歌になっている。繊細な感じ。(A・K)
★松男さんはきっと胡瓜を世話したことがあるんでしょうね。だから胡瓜の蔓がどんな風になる
 かよく知っている。そして歌を作るときそれがぱっと思い浮かぶ。そこが凄いと思います。胡
 瓜の蔓にリアリティがあって〈われ〉の切実さもよく出ている。(鹿取)



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