かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の250

2020-03-13 18:28:09 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の32(2020年2月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P160~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆    司会と記録:鹿取未放


250 てのひらに夕日をのせてくる神の夕日は顔をしたから照らす

           (レポート)
 神がてのらに夕日を「のせてくる」という表現に注目した。247番(茄子の花下向きに咲くなにゆえにマザー・テレサが気にかかるのか)のうたのマザー・テレサを受け、この一首にも人が尊く生きることを詠われているのだとおもう。「顔を下から照らす」のだから、地に最も近きところに生きている人々のところから、まず神は光をあてると詠う。それを目に見える映像として詠ったのだろう。(泉)


            (紙上参加)
 神が手のひらに乗せてくる夕日が照らすのは誰の顔だろう。それは、目立たず気高く生きた人で、そういう人が亡くなる時を歌っているのではないか。その最後の時に、神はその尊い顔に光を当てて下から照らしてくれるのだと。(菅原)


            (当日意見) 
★神って何?てのひらに夕日をのせてくるって、さっぱり分からないのですが。夕
 日がわーっとやって来る情景なのかなという気がして。(A・K)
★文字通りだとこの神様は人間みたいに手をもっていて、その手は夕日をのせられ
 るほど巨大。そうでないとしたら、私の手のひらにそっと夕日を乗せてくれる神
 様、これはかなり苦しい解釈ですね。でも私のてのひらに夕日の光が乗ることは
 出来て、その反射で私の顔を下から照らすことは可能ですね。(鹿取)
★この一連は下というのがポイントかも。茄子の花も、マザー・テレサも。
  (A・K)
★うまく書けなかったけど、下というのは菅原さんと同じで、下から照らすという
 のは地面に近いところに生きている人々をまず救うってことかと。(泉)
★その解釈だと、ここは比喩なのね。(鹿取)
★題を忘れたけど、アニメっていうのか、お人形さんが出てくる映画を思い出しま
 した。山の向こうに阿弥陀様が出るんですよ。阿弥陀様の半顔に光があたって。
 だから神様が神様の手のひらに夕日をのせてもってきた。(慧子)
★二上山が出てくるのよね。「死者の書」でしたか?(鹿取)
★ああ、それそれ。(慧子)
★あの映画、夕日が確かに印象的だったけど、神様が夕日を持ってきて、阿弥陀様
 が照らされるのはちょっと齟齬があるような。(鹿取)

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