かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の248

2020-03-11 17:33:05 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の32(2020年2月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P160~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉真帆    司会と記録:鹿取未放


248 足跡からつぎつぎ消されゆくのですねどのひともやがて地上から浮く

               (レポート)
 この一首は作者の哲学や世界観が凝縮したうたのようにおもえる。
 地上から天へ昇るものたちは皆、地に低きところに生きる者から、もしくは、地に低き心を手に入れた者から順に昇天できると詠っているのではないだろうか。あるいは人の死の直前には、みなこのような静かな悟りに満ちた愉悦があるとも思える。(泉)


                (紙上参加)    
 足跡から次々消されてゆくのは亡くなって、過去の人となってゆく人たちのことだろうか。殊に、地に足をつけて地道に善意をもって他者の為に生きた人たちは、亡くなって忘れられてゆくけれど、地上から浮いて、天に昇っていくんだろうなと、そうあってほしいなと作者は願っているのだと思う。上句の「ですね」という優しさにそれが感じられる。この前の歌にあるマザー・テレサを思っているのかもしれない。(菅原)


               (当日意見)   
★渡辺さんにしてはわかりやすい歌ですね。「浮く」がポイントかな。素直な歌で
 すね。(A・K)
★「足跡からつぎつぎ消されゆく」というのは親しい人が亡くなった時に実感した
 のでよく分かる気がしました。生きている間は地に足をつけて歩いているけど、
 その痕跡がだんだん無くなる。ここを通って、あそこを通って、この土もあの
 土も踏んだのに、それらがだんだん薄れてゆく。(鹿取)
★「浮く」ということは軽くなるということ。天国とか極楽とかは関係なく浮いて
 いく。消えるではなく浮く、生身の人間ではなくなる。「ですね」で生きている
 歌かな。人にも聞いているし、自分でも自問自答しているような。(A・K)
★以前に重力にこだわった歌が何首かありましたが、死ぬって事は重力から解放さ
 れるんですね。マザー・テレサの続きではあるけど、「浮く」が天国とかには繋
 がらないとA・Kさん同様私も思います。(鹿取)



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