2024年度版 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取未放
115 コルドバの赤きワインに透かし見るネロを去りたる愁ひのセネカ
(レポート)
ネロは古代ローマの皇帝。在位54~68。初めはセネカなどの補佐により善政を行ったが、のち母と皇后を殺し、またローマ市の大火に際しては、その罪をキリスト教徒に負わせて迫害、のち反乱が起こり自殺。暴君の代名詞となる。そのネロのところをセネカは不興をこうむり隠退、ついに自決する。セネカはローマのストア派の哲人。西班牙生まれ。著書にギリシャ悲劇を範とする悲劇9篇のほか「幸福な生について」があった。(T・S)
(まとめ)
暴君として知られるネロは、ローマ帝国第5代の皇帝。セネカはネロの幼児期の家庭教師で、ネロ即位後は補佐役になった。もともとセネカは哲学者、詩人である。真偽は不明だが、ストア派の哲学者にあるまじき行為であるとして横領の罪で告発されたこともある。告発を受けたセネカはローマ帝国から得た財産の全てをネロへ返還し、学問に生きようと徐々に政治の世界から遠ざかったという。数年後、ネロを退位させる陰謀が露見、逮捕された者がセネカが関与していると告げた為、ネロはセネカを訊問しようとしたがセネカは呼び出しに応じなかった。よってネロはセネカに自殺を命じ、セネカは自死する。64歳だった。
弟と母を次々に殺し、妻と師であるセネカを自殺に追いこんで権力を維持していたネロだが、穀物の価格が高騰するなど経済的な面からも市民の反感を買い、対立していた元老院は新皇帝を擁立、ネロは「国家の敵」となって逃亡。やがて追っ手が迫ったのを知って自害した。ネロの享年は30歳、セネカの自殺の3年後のことであった。(以上、Wikipedia等を参照)
セネカはコルドバの生まれで、コルドバにはその像が建っている。ネロを去ったセネカの心のうちははかりしれないが、近親者を毒殺したり、無辜の民を迫害したりと暴虐の限りを尽くすネロに荷担し、私腹を肥やしたかもしれないセネカが本来の自分を取り戻したということか。政治より哲学や芸術の方が自分の本来のあり方だとはっと目覚めたということか。ネロを去ったセネカを、作者は「愁ひのセネカ」としてとらえている。「人生の短さについて」を書いたセネカはとにかくも64歳まで生きたがネロに命じられて自死し、やがてはネロも追いつめられて30歳の若さで自死する。作者は赤ワインを飲みながらネロとセネカの生きた時代やふたりの複雑怪奇な人生模様を思い感慨にふけっているのであろう。(鹿取)
【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取未放
115 コルドバの赤きワインに透かし見るネロを去りたる愁ひのセネカ
(レポート)
ネロは古代ローマの皇帝。在位54~68。初めはセネカなどの補佐により善政を行ったが、のち母と皇后を殺し、またローマ市の大火に際しては、その罪をキリスト教徒に負わせて迫害、のち反乱が起こり自殺。暴君の代名詞となる。そのネロのところをセネカは不興をこうむり隠退、ついに自決する。セネカはローマのストア派の哲人。西班牙生まれ。著書にギリシャ悲劇を範とする悲劇9篇のほか「幸福な生について」があった。(T・S)
(まとめ)
暴君として知られるネロは、ローマ帝国第5代の皇帝。セネカはネロの幼児期の家庭教師で、ネロ即位後は補佐役になった。もともとセネカは哲学者、詩人である。真偽は不明だが、ストア派の哲学者にあるまじき行為であるとして横領の罪で告発されたこともある。告発を受けたセネカはローマ帝国から得た財産の全てをネロへ返還し、学問に生きようと徐々に政治の世界から遠ざかったという。数年後、ネロを退位させる陰謀が露見、逮捕された者がセネカが関与していると告げた為、ネロはセネカを訊問しようとしたがセネカは呼び出しに応じなかった。よってネロはセネカに自殺を命じ、セネカは自死する。64歳だった。
弟と母を次々に殺し、妻と師であるセネカを自殺に追いこんで権力を維持していたネロだが、穀物の価格が高騰するなど経済的な面からも市民の反感を買い、対立していた元老院は新皇帝を擁立、ネロは「国家の敵」となって逃亡。やがて追っ手が迫ったのを知って自害した。ネロの享年は30歳、セネカの自殺の3年後のことであった。(以上、Wikipedia等を参照)
セネカはコルドバの生まれで、コルドバにはその像が建っている。ネロを去ったセネカの心のうちははかりしれないが、近親者を毒殺したり、無辜の民を迫害したりと暴虐の限りを尽くすネロに荷担し、私腹を肥やしたかもしれないセネカが本来の自分を取り戻したということか。政治より哲学や芸術の方が自分の本来のあり方だとはっと目覚めたということか。ネロを去ったセネカを、作者は「愁ひのセネカ」としてとらえている。「人生の短さについて」を書いたセネカはとにかくも64歳まで生きたがネロに命じられて自死し、やがてはネロも追いつめられて30歳の若さで自死する。作者は赤ワインを飲みながらネロとセネカの生きた時代やふたりの複雑怪奇な人生模様を思い感慨にふけっているのであろう。(鹿取)
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