かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 127

2023-10-11 14:30:09 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研 15 (14年5月)まと
    【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
     参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
             

127 まがことをもたらすために父は来る ろっ骨状雲ひろがるゆうべ

       (当日発言)      
★渡辺さんは父親のことをかなり意識していらっしゃる。男性の父親に対する気持ちは
 女性の父親に対する気持ちとは違うところがある。張り合う気持ち、うっとうしく思
 う気持ちもあるだろう。それを歌にするのは難しいでしょうね。(曽我)
★一般的にそうですよね。ただ、渡辺さんはどこかで父親はとても超えられない大きな
 存在だった と書いていらっしゃったように思います。また、当然、実際の親子関係
 が歌には影を落としてい るでしょうけど、基本的には渡辺さんの家族の歌(もちろ
 ん全ての歌に言えることですけれど)は造形されたものだと思っています。そしてそ
 のお父さん、お祖父さん、弟さん、それぞれ魅力的な造形だと思っています。(お母
 さんはちょっと違うんですが、ここでは踏み込むのやめます。)(鹿取)
★この歌でも「まがこと」、つまり凶事をもたらすためにお父さんがやってくる、何か
 神話のようなとてもスケールの大きなお父さん像が「ろっ骨状雲」が広がる景の中で
 提示されていると思います。乳房雲というのも以前出てきましたが、雲の名称なんか
 も松男さん好きなんでしょうね。(鹿取)


         (まとめ)
 同じ『寒気氾濫』に〈商工会会長渡辺巳作氏が巨大茶碗で茶を飲む朝〉というリアルな歌がある。とりあえず上の句は客観的事実で、実際の作者の父であろう。しかし「ろっ骨状雲」一連で詠まれている「父」は現実の父を超えて造形されている。別の歌で鈴木さんも言及されていることだが、そもそも〈われ〉がイコール渡辺松男ではないのだから、当然「父」も現実の父を超えて普遍化されている。なによりも、この一連の歌を家長とか家族役割内での父親とかに限定した鑑賞は歌柄を小さくしてしまうだろう。(鹿取)



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