かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の17

2020-05-08 19:17:49 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究2(13年2月)【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)9頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


17 十月のまぶしきなかへひとすじのああ気持ちよき犀の放尿

        (レポート)
 たぶん作者が自らの山歩きなどで体験した感覚を詠んだものだろう。野外でひとり、十月のまぶしき光に向かって誰にも気兼ねなく放尿する快感。男ならではのものかもしれないが、体の大きな「犀」の放尿とすることで、その爽快感が高まるばかりでなく、孤独の象徴としての「犀」の独り生くよろこびを、作者自身の実感に重ね合わせて詠んでいる。ちなみにニーチェは脱ヨーロッパの視点から、竜や象など東洋的な動物を比喩として用いているが、孤独の象徴としての犀もそのひとつ。(鈴木)


          (意見)
★ニーチェも東洋的なものに関心を持ち、仏教もかじっているようだ。(鈴木)
★渡辺さんが自分の評論(※)の中で、鯨のような大きなものが悩んでいたり孤独だったりすると
 ころが絵になるので、ダニが耐えていたら人は笑うだろう、というような意味のことを言ってい
 て、大笑いしたことがある。だからここも大きな犀が登場するのだろう。前歌も大きな象だし。
   (鹿取)
★ごまめの歯ぎしりというのもある。(鈴木)
★「独り生くよろこび」という鈴木さんの解釈がすばらしい。私などここに届かない。(崎尾)
★私は渡辺さんのように実感的になかなかうたえない。(鈴木)
★自然ですよね。哲学やってるけど、何か頭でこねくりまわしているのとは全く違って。(鹿取)
★渡辺さんの感覚が哲学的なんでしょうね。(鈴木)
★自分の持っているアクが全くない。(崎尾)
 
※正確には「鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその淋 しさもいいのであって、――中略――もっと小さければどうだろう。そもそも感情移入などしき れない。ダニが耐えていたら人は笑うだろう。」(「かりん」1997年2月号「日常宇宙」)
  上記は丁田隆「ざっぷりとプランクトンを食みながら淋しさを言うことばを持たず」について のコメント。渡辺さん自身「大洋にはてなきこともアンニュイで抹香鯨射精せよ」(『寒気氾濫』) と鯨を歌っている。(鹿取)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 1の16 | トップ | 渡辺松男の一首鑑賞 1の18 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事