かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の246

2020-03-09 19:48:52 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の32(2020年2月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P160~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆    司会と記録:鹿取未放

246 山らっきょうの花じくじくと咲く秋や人工骨は肉をはみだす

         (レポート)
 「山らっきょう」は花がラッキョウの花に似ていて、山に自生しているのでその名がついた。ヤマラッキョウは「じくじくと」した湿原に、例えばイヌセンブリなどとともに咲いているのを見かけるという。花の形状は、打ち上げ花火が夜空にばん!と全開咲きしたつぎの瞬間のすこし散りそうになったときのようで、紫の小花が寄り集まって一つになって咲く。
 さて一首だが、上句には憂いのある秋の枯野の風景が味わえる。ここに「じくじくと」に晴れないじくっとした気分もある。問題は下句で、肉をはみだす人工骨の異常な状況にギョッとさせられる。知り合いの岳人が足首を痛め人工くるぶしを入れた話などを思いだしたので余計にギョッとした。しかしそこにこそ、この歌の面白味があるのだろう。
 そういったことを踏まえ一首をつぎのように鑑賞した。
ヤマラッキョウの咲く枯野の、じくじくとした足元をふと見ると自分の足の皮膚から人工骨が飛び出しているではないか、息の止まる思いによくよく見ると、ヤマラッキョウの花茎を踏んでいて、その拍子に土からその根っこの、つまり人工骨だとか人工くるぶしに似たつるんとしたラッキョウが土から飛び出していたのだ。ちょっとしたサスペンス映画を見たような楽しさある一首だった。サスペンス映画のような効果を生んだのは〈人工骨〉〈肉をはみだす〉の具体的表現に依るだろろう。 (泉)

               (紙上参加)
 作者自身のことかはわからないが、膝、肘。腰などを痛め、人工骨を入れる人は多い。その人工骨が肉からはみ出したらさぞや痛いだろう。山らっきょうは山地の草原などに生えるようで、その花は紫色のつぶつぶとしたかわいい花。それがじくじくと咲くというのは、雨の多い秋なのだろう。この「じくじく」が湿っぽさと痛みの両方を実感させ、いつもながら、オノマトペの使い方が上手。(菅原)


               (当日意見)
★普通だったら人工骨のようならっきょうの根、とか言っちゃいそうだけど、「人
 工骨は肉をはみだす」と言い切ったところが面白さのポイントかなあと。前の歌
 のプログラム細胞死はよく分からなかったのですが、その解説に何かが突き抜け
 て現れるようなことが書かれていたので、そんな関連から「肉をはみだす」が出
 てきたのかなあと。(泉)
★3句目の「や」が切れ字になっていて俳句みたいですね。それに下の句を付け合
 わせた。でも、人工骨が肉をはみだすって絶対ありえないことです。そんなこと
 があったら裁判になります。だから詩的な話だと思うのですが、もし、泉さんの
 ような解釈でないなら、天下の渡辺松男といえども、この歌は自分にしか分かっ
 ていないって感じです。(A・K)
★人工骨が肉をはみだすってあり得ないんだったら、やっぱり泉さんの解釈でしょ
 うか。泉さんの解釈、とっても鮮やかで、すっきりするんですが。(鹿取)
★思いがけないところから何かがはみだす、245番歌(プログラム細胞死からぬ
 けいだし蟬、蟬、蟬、蟬の爆発)もこの歌も同じなんじゃないですか。(慧子)




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