かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 135

2020-12-24 19:21:17 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 16   二〇一四年六月
     【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)60頁~
      参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:曽我 亮子   司会と記録:鹿取 未放

               
135 一のわれ欲情しつつ山を行く百のわれ千のわれを従え

         (レポート)
 きのこの季節になると山に行きたい欲望にかられる。それほど山は魅力に充ちている。
  一のわれ=作者は「現代短歌新聞」“歌は時間の奴隷ではない”の中に、一のわれについて語  っている。「一のわれになった時恐怖心に侵されました…。一を生きることになってしまった  者として歌いたいことだけを歌っていきます……」と。(曽我)

         (誌上意見)
 われの中には百のわれ千のわれ、たくさんのわれがいる。そのときどきの環境に応じてそれに適したわれが顕れる。山行の中で、欲情(どのような欲情かわからないが)した一のわれが他のたくさんのわれを抑制して、歩き続けている。「欲情」には切羽詰まったものが感じられ、それゆえに、他のわれは黙って従うのである。(鈴木)


          (発言)
★「現代短歌新聞」に載った「一のわれ」というのは病気の確率の話で、「一のわれ」は病気が確
 定された状態を表現している言葉です。だから、この歌での「一のわれ」とは全く文脈の違う話
 ですね。それから鑑賞している『寒気氾濫』は1997年出版ですから、作者が病気になられる
 より20年以上前の歌集です。(鹿取)   
★金子兜太に「けふはどの本能と遊ぼうか」という俳句があって、その類似形かと。(慧子)
  ※後で調べたところ「 酒やめようかどの本能と遊ぼうか」が正しいようだ。(鹿取)
★鈴木さんは「一のわれが他のたくさんのわれを抑制して」と書いているけど、「従え」は「抑制
 して」ではなく私は「引き連れて」と読みました。一のわれが欲情しているのだから百のわれ
 も千のわれも同様に欲情しているんだと思います。(鹿取)
★百、千は〈われ〉の構成要素。でも、それは過去にさかのぼれば青年時代、少年時代の〈われ〉
 にもなるし、親や先祖にもなるし、人間以外の猿やチンパンジーや、もっと過去の海の微生物み
 たいなものにもなる。また、渡辺さんは「平行宇宙」とか考える人だから〈われ〉の構成要素は
 そこにもあるのかもしれない。(鹿取)  


       (後日意見)
『泡宇宙の蛙』に「一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲」がある。『泡宇宙の蛙』の自選5首に本人が選んでいる。(「かりん」2010年11月号)(鹿取)


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