渡辺松男研15(14年5月)まとめ
【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
128 もんもんと蚖蛇蝮蠍(がんじやふつかつ)いでてこよおおきなる父の素足は来たり
(発言)
★蚖は「いもり」とか「とかげ」のことですね。(曽我)
★私も漢和辞典でひいたら「いもり」と出ていて、他のおどろどろしい蛇、蝮、蠍に比べてなんか
へにゃっとしていて拍子抜けがしたのですが、どの漢和辞典でも「いもり」でした。こんな四字
熟語があるんでしょうか。(鹿取)
★観音経に出てきます。四字熟語じゃなくて間に一文字くらい入っていた気がします。座禅の後で
観音経読んでるんですけど。一つ一つの意味ではなく四字全体でまがまがしいことを言っている
んでしょうね。自分の中から出てくる感じもするし、そこら一帯に漂っているような気もす
る。(鈴木)
★127番歌(まがことをもたらすために父は来る ろっ骨状雲ひろがるゆうべ)と同じで、お父
さんがどすどすと素足で近づいてくる。菌がその素足から出てくるとかじゃなくて、むしろその
お父さんに対抗するために蚖蛇蝮蠍に出てきてくれと希求しているのかなあ。なにかその辺から
湧いて出るような感じが「もんもんと」にはある。それともお父さんが醸している「まがごと」
の象徴が蚖蛇蝮蠍かしら。(鹿取)
★ただならない、ぞわぞわとした感じを蚖蛇蝮蠍で表しているのかなあ。どこにと考えちゃう
おかしくなる。(鈴木)
★お父さん、ひどい書かれ方だけど、諧謔かしら。怒っているわけでもないし。(曽我)
★僕の父は明治の末年生まれだけど、渡辺さんのお父さんは大正か昭和一桁でしょう。戦争をくぐ
り抜けてきているというか、戦後世代から見ると父親ってこういう雰囲気を漂わせている。家長
という意識かもしれないですね。戦後世代のわれわれは家長って意識もてないですもの。家長が
存在していた頃の威圧的な雰囲気を詠っている、強調はされていますけどね。(鈴木)
(まとめ)
「蚖蛇蝮蠍」は観音経にあるという発言について、正式には「観世音菩薩普門品」という経典に入っていた旨、鈴木さんから後日連絡がありました。発言どおり間に「及」という文字が入っていて「蚖蛇及蝮蠍」(「がんじゃぎゅうふっかつ」と読むそうです)。そのあと「気毒煙火燃(けどくえんかねん)」「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」と続くそうです。
そういえば私も「観世音菩薩普門品第二十五」の訓読を持っていました。鈴木さんが教えてくださった部分の訓読は次のようになっています。「蚖蛇及び蝮蠍の、気毒煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋いて自ら廻り去らん。」(くちなわおよびまむしの、けどくほのおのごとくもゆるも、かのかんのんのちからをねんずれば、こえについでおのずからかえりさらん。)
この場合、「蚖蛇及蝮蠍」は外から襲ってくる恐ろしい諸々とも読めるし、外からの悪魔的な誘いに靡いてしまいそうな自分の内面とも取れるけれど、観音の力を念じることでそれらを撃退できるというのだろう。渡辺の歌では少し違って父の力に対抗する手段として「蚖蛇蝮蠍」を願っているようだ。「蚖蛇及蝮蠍」(がんじゃぎゅうふっかつ)では音数的に長いので、作者はこの歌で及びの意味の接続詞を省略したのだろう。(鹿取)
【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
128 もんもんと蚖蛇蝮蠍(がんじやふつかつ)いでてこよおおきなる父の素足は来たり
(発言)
★蚖は「いもり」とか「とかげ」のことですね。(曽我)
★私も漢和辞典でひいたら「いもり」と出ていて、他のおどろどろしい蛇、蝮、蠍に比べてなんか
へにゃっとしていて拍子抜けがしたのですが、どの漢和辞典でも「いもり」でした。こんな四字
熟語があるんでしょうか。(鹿取)
★観音経に出てきます。四字熟語じゃなくて間に一文字くらい入っていた気がします。座禅の後で
観音経読んでるんですけど。一つ一つの意味ではなく四字全体でまがまがしいことを言っている
んでしょうね。自分の中から出てくる感じもするし、そこら一帯に漂っているような気もす
る。(鈴木)
★127番歌(まがことをもたらすために父は来る ろっ骨状雲ひろがるゆうべ)と同じで、お父
さんがどすどすと素足で近づいてくる。菌がその素足から出てくるとかじゃなくて、むしろその
お父さんに対抗するために蚖蛇蝮蠍に出てきてくれと希求しているのかなあ。なにかその辺から
湧いて出るような感じが「もんもんと」にはある。それともお父さんが醸している「まがごと」
の象徴が蚖蛇蝮蠍かしら。(鹿取)
★ただならない、ぞわぞわとした感じを蚖蛇蝮蠍で表しているのかなあ。どこにと考えちゃう
おかしくなる。(鈴木)
★お父さん、ひどい書かれ方だけど、諧謔かしら。怒っているわけでもないし。(曽我)
★僕の父は明治の末年生まれだけど、渡辺さんのお父さんは大正か昭和一桁でしょう。戦争をくぐ
り抜けてきているというか、戦後世代から見ると父親ってこういう雰囲気を漂わせている。家長
という意識かもしれないですね。戦後世代のわれわれは家長って意識もてないですもの。家長が
存在していた頃の威圧的な雰囲気を詠っている、強調はされていますけどね。(鈴木)
(まとめ)
「蚖蛇蝮蠍」は観音経にあるという発言について、正式には「観世音菩薩普門品」という経典に入っていた旨、鈴木さんから後日連絡がありました。発言どおり間に「及」という文字が入っていて「蚖蛇及蝮蠍」(「がんじゃぎゅうふっかつ」と読むそうです)。そのあと「気毒煙火燃(けどくえんかねん)」「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」と続くそうです。
そういえば私も「観世音菩薩普門品第二十五」の訓読を持っていました。鈴木さんが教えてくださった部分の訓読は次のようになっています。「蚖蛇及び蝮蠍の、気毒煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋いて自ら廻り去らん。」(くちなわおよびまむしの、けどくほのおのごとくもゆるも、かのかんのんのちからをねんずれば、こえについでおのずからかえりさらん。)
この場合、「蚖蛇及蝮蠍」は外から襲ってくる恐ろしい諸々とも読めるし、外からの悪魔的な誘いに靡いてしまいそうな自分の内面とも取れるけれど、観音の力を念じることでそれらを撃退できるというのだろう。渡辺の歌では少し違って父の力に対抗する手段として「蚖蛇蝮蠍」を願っているようだ。「蚖蛇及蝮蠍」(がんじゃぎゅうふっかつ)では音数的に長いので、作者はこの歌で及びの意味の接続詞を省略したのだろう。(鹿取)
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