かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 123 スペイン⑦

2024-11-04 19:07:05 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 馬場あき子の外国詠14(2009年3月)改訂版
    【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P68~
    参加者:N・I、T・K、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・K       まとめ:鹿取未放

※この一連のまとめは、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)のほか、『支倉常長』(大泉光一)・講談社『日本全史』等を参照した。


123 ロカ岬に来し証明をくるるなり霧濃く何も見ざりし証(あかし)

      (レポート)
 ポルトガルの観光スポットのロカ岬。自然は人間の思いに添ってくれないから“兎に角行ってきた”という証明を渡すのか。作者は「何も見ざりし証」と名付けたところが楽しい。旅行の思い出をこのようにそれぞれ名付けて楽しむのも面白いと思った。(T・K)


       (まとめ)
 ロカ岬は、ユーラシア大陸の最西端、大西洋に面している。ポルトガルの愛国詩人カモンエスが「ここに地果て、海始まる」と詠んだ詩が碑になっているという。この岬はたいてい霧に覆われていて晴れるのはまれらしい。作者と共に出かけたかりんの人の話によるとこの日は霧が深く海はほとんど見えなかったそうだ。ユーラシア大陸の最西端なので、お金を出せば日付と自分の名前の入った証明書をくれるそうだ。この歌では「何も見ざりし証」という皮肉が眼目。さらりとした軽い歌い口で支倉の悲壮な一生からの転換が見事だ。
 しかし、こう書いて、待てよとも思う。詠み口は軽いが内実は霧に閉ざされた遠い遠い時代の闇を見つめているのかもしれないと。たとえば、『大和』(昭和一五年刊)の次のような歌を思い起こさせられる。
  春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 前川佐美雄

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