かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 122 スペイン⑦

2024-11-03 10:37:29 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 馬場あき子の外国詠14(2009年3月)改訂版
    【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P68~
    参加者:N・I、T・K、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・K       まとめ:鹿取未放

※この一連のまとめは、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)のほか、『支倉常長』(大泉光一)・講談社『日本全史』等を参照した。


122 波音のぎんしゆとひびく海に来て旅の十日の疲れ出でくる

     (レポート)
 ぎんしゅと響くとは陸と海のせめぎ合いの音か、エネルギッシュなポルトガルの海か、疲れた体の骨の悲鳴かなど思わせる。(T・K)


     (当日発言)
★レポートの追加です。「ぎんしゅとひびく」のは先生の心。(T・K)


   (まとめ)(2015年12月改訂)
 「ぎんしゆ」とは特異な擬音語だが、銀と朱の海の夕暮れ時のいろあいをイメージした抜群の色彩感覚を含む造語だと思う。次の歌(ロカ岬に来し証明をくるるなり霧濃く何も見ざりし証(あかし))を読むとロカ岬は霧のために海はみえなかったようだが、高い断崖絶壁だからロカ岬なら波の音は聞こえないだろう。ここはあまりどこと限定せず、海のそばに立って波音を聞いているととっておく。波音は大西洋のものである。当然、数首前の「慶長使節の支倉は老いて秘むれども夢に大西洋かがやけり一生」とうたった支倉の晩年にかがやいていた大西洋という思いが尾を引いている。疲れはそういう思いの濃さのせいでもあるのだろう。(鹿取)


     (追記)(2022年1月)  
 「銀朱」は色の名前で、太陽のあざやかな赤を表す語だということを最近知った。
  (鹿取)
コメント
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