2024年度版 渡辺松男研究41(2016年8月実施)
『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P139
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
338 槻に葉の一切は散り一切の枝がいよいよ冬空にある
(レポート)
ある一切が消え、他の一切がはっきりみえる。一切を二度使っていながら煩わしさがなく、それどころか、ものごとを一切と断言する力が感じられる。日頃よく使う一切は宗教に由来する言葉。言葉の背後の故かまた使い手によるのか、一首がいよいよ精神性を帯びてたちあがる。(慧子)
(当日意見)
★槻の木は一般には欅って呼ばれていますって、レポートに一言書いてくれるとよかっ
たかな。それと、「一切は宗教に由来する言葉」ってありますけど、もう少し詳しく
教えてくれますか。(鹿取)
★仏教に一切経ってあります。「国語大辞典」(小学館)に一切教について短く触れて
ありました。(慧子)
(後日意見)
「槻」は欅の古名。「一切経」とはお経を一同に集めた膨大なものだそうだが、この歌は宗教と結びつける必要はないだろう。「一切」は「一切知らない」などのように打ち消しを伴って使うことが多いようだが、一つ目の「一切」は「散り」で受けているので普通の使い方だ。2つ目の「一切」は「ある」と肯定に繋がるので少し不思議な感覚にさせられる。「全然」を肯定で受ける語法が芥川龍之介の小説にも出てくるので目くじらを立てる訳ではないが、2つ目の「一切」はわざと捩って使っているのだろう。また「槻に」「空に」と敢えて「に」を重ねている。「槻に」の「に」は所有格と思われるが、これも不思議な用法でたくらみがみえる。
槻木をうたった『蝶』(2011年刊)の歌をあげる。この歌よりさらに突き詰められているようだ。 (鹿取)
【きよくたんな寒さに厳と立つ槻のまはだかはえいゑんのいりくち 渡辺松男】
『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P139
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
338 槻に葉の一切は散り一切の枝がいよいよ冬空にある
(レポート)
ある一切が消え、他の一切がはっきりみえる。一切を二度使っていながら煩わしさがなく、それどころか、ものごとを一切と断言する力が感じられる。日頃よく使う一切は宗教に由来する言葉。言葉の背後の故かまた使い手によるのか、一首がいよいよ精神性を帯びてたちあがる。(慧子)
(当日意見)
★槻の木は一般には欅って呼ばれていますって、レポートに一言書いてくれるとよかっ
たかな。それと、「一切は宗教に由来する言葉」ってありますけど、もう少し詳しく
教えてくれますか。(鹿取)
★仏教に一切経ってあります。「国語大辞典」(小学館)に一切教について短く触れて
ありました。(慧子)
(後日意見)
「槻」は欅の古名。「一切経」とはお経を一同に集めた膨大なものだそうだが、この歌は宗教と結びつける必要はないだろう。「一切」は「一切知らない」などのように打ち消しを伴って使うことが多いようだが、一つ目の「一切」は「散り」で受けているので普通の使い方だ。2つ目の「一切」は「ある」と肯定に繋がるので少し不思議な感覚にさせられる。「全然」を肯定で受ける語法が芥川龍之介の小説にも出てくるので目くじらを立てる訳ではないが、2つ目の「一切」はわざと捩って使っているのだろう。また「槻に」「空に」と敢えて「に」を重ねている。「槻に」の「に」は所有格と思われるが、これも不思議な用法でたくらみがみえる。
槻木をうたった『蝶』(2011年刊)の歌をあげる。この歌よりさらに突き詰められているようだ。 (鹿取)
【きよくたんな寒さに厳と立つ槻のまはだかはえいゑんのいりくち 渡辺松男】