2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
372 夫をなくせし市街戦もはるかな歴史にてドナウ川の虹をひとり見る人
(レポート)
「はるかな」と形容しているのは、過酷な歴史を生きた人々が歳月に癒されたであろうと確信しているような視線だ。「虹」があたかもそれを象徴し、時そのものとして流るる「ドナウ川」にかかる。そしてそれを「ひとり見る人」がいる。いずれにせよ取材によったのではなかろうに断定でとおしていることに違和感がないのは、作者の力のゆえであろう。馬場あき子の『太鼓の空間』あとがきより引く。(慧子)
「日常の視線の中にも縦の時間をみることによってその存在を納得しようとする方
向をもっていたように思います。それはもう私の癖といってもいいように身につい
てしまったものの一つですが、この時間空間に漂遊する時が一番私にとっては豊か
な思いがあります。」
(当日発言)
★「虹をひとり見る人」は371番歌「ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知
るハンガリー動乱も夢」同様、作者の力量で作り出した人物。プロのやり方。
(鈴木)
★レポーターの言う「過酷な歴史を生きた人々が歳月に癒されたであろうと確信してい
るような視線だ」というところは反対。人々の気持ちは歳月が経っても癒されきれて
いないだろう。(崎尾)
★生々しい傷は歳月によって薄れているだろう。(鈴木)
★確かに生々しい傷は薄れているのだろう。それが虹で表現されている。しかし「ハン
ガリー動乱」で夫を亡くした老女はその傷を死ぬまで抱えて生きるのだ。三・一一で
子供や親兄弟を失った人も同じだと思う。また鈴木さんのいうように実在しない人物
を詩の力で登場させたと考える方が歌として深くなるかもしれない。あるいはドナウ
川の岸に老女はいたかもしれないが、虹は創作かもしれない。371番歌(ケンピン
スキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢)その老女と作者は言葉
の問題から意思の疎通は難しいから、おそらく関係を持たず、したがって「夫をなく
せし市街戦」は作者の想像だろう。そういう独断が詩を生み出しているとも言える。
レポーターもいうように馬場の独断・断定の歌には秀歌が多い。また馬場自身萩原朔
太郎の「独断でさえないものが詩であろうか」という旨の言葉をよく引用している。
(鹿取)
沙羅の枝に蛇脱ぎし衣ひそとして一夜をとめとなりゆきしもの
『青椿抄』馬場あき子
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
372 夫をなくせし市街戦もはるかな歴史にてドナウ川の虹をひとり見る人
(レポート)
「はるかな」と形容しているのは、過酷な歴史を生きた人々が歳月に癒されたであろうと確信しているような視線だ。「虹」があたかもそれを象徴し、時そのものとして流るる「ドナウ川」にかかる。そしてそれを「ひとり見る人」がいる。いずれにせよ取材によったのではなかろうに断定でとおしていることに違和感がないのは、作者の力のゆえであろう。馬場あき子の『太鼓の空間』あとがきより引く。(慧子)
「日常の視線の中にも縦の時間をみることによってその存在を納得しようとする方
向をもっていたように思います。それはもう私の癖といってもいいように身につい
てしまったものの一つですが、この時間空間に漂遊する時が一番私にとっては豊か
な思いがあります。」
(当日発言)
★「虹をひとり見る人」は371番歌「ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知
るハンガリー動乱も夢」同様、作者の力量で作り出した人物。プロのやり方。
(鈴木)
★レポーターの言う「過酷な歴史を生きた人々が歳月に癒されたであろうと確信してい
るような視線だ」というところは反対。人々の気持ちは歳月が経っても癒されきれて
いないだろう。(崎尾)
★生々しい傷は歳月によって薄れているだろう。(鈴木)
★確かに生々しい傷は薄れているのだろう。それが虹で表現されている。しかし「ハン
ガリー動乱」で夫を亡くした老女はその傷を死ぬまで抱えて生きるのだ。三・一一で
子供や親兄弟を失った人も同じだと思う。また鈴木さんのいうように実在しない人物
を詩の力で登場させたと考える方が歌として深くなるかもしれない。あるいはドナウ
川の岸に老女はいたかもしれないが、虹は創作かもしれない。371番歌(ケンピン
スキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢)その老女と作者は言葉
の問題から意思の疎通は難しいから、おそらく関係を持たず、したがって「夫をなく
せし市街戦」は作者の想像だろう。そういう独断が詩を生み出しているとも言える。
レポーターもいうように馬場の独断・断定の歌には秀歌が多い。また馬場自身萩原朔
太郎の「独断でさえないものが詩であろうか」という旨の言葉をよく引用している。
(鹿取)
沙羅の枝に蛇脱ぎし衣ひそとして一夜をとめとなりゆきしもの
『青椿抄』馬場あき子
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