ブログ版 清見糺の短歌鑑賞
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
244 おおかたの読者は知りえぬことなればゆかいなきみとわれのひめごと
2003年8月作
読者というのだから、このひめごとは歌とか言葉・文学にかかわるものだろう。生前作者に確かめてみることもしなかったが、どんな内容だったのだろう。
245 いくつかの恋を除いてたいくつなじんせいだったと告げるコギトに
2003年8月作
「コギト、エルゴ、スム」は、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」。デカルトは全てを疑うところから始めて、最後に「全てを疑っている主体であるわれという実在は最後まで疑えない」というように考えた。この歌における「コギト」は、「ものを考える主体であるわれ」くらいの意味で使っているのだろう。
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
244 おおかたの読者は知りえぬことなればゆかいなきみとわれのひめごと
2003年8月作
読者というのだから、このひめごとは歌とか言葉・文学にかかわるものだろう。生前作者に確かめてみることもしなかったが、どんな内容だったのだろう。
245 いくつかの恋を除いてたいくつなじんせいだったと告げるコギトに
2003年8月作
「コギト、エルゴ、スム」は、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」。デカルトは全てを疑うところから始めて、最後に「全てを疑っている主体であるわれという実在は最後まで疑えない」というように考えた。この歌における「コギト」は、「ものを考える主体であるわれ」くらいの意味で使っているのだろう。
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