かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の230

2020-01-07 16:58:59 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の30(2019年12月実施)
     Ⅳ〈月震〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P151~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


230 月震ぞハムスターからハムスターぞろぞろ生まれまろまろと死す

        (レポート)
 月のみちかけと生命とはふかくかかわると人々の語りがある。また月の明るい夜の海中での珊瑚の産卵の映像なども記憶にある。掲出歌は「月震ぞ」とはじまり、まるで月の揺れが原因のようにハムスターからハムスターがぞろぞろ産まれるという。宇宙と生命の不思議なつながりを詠っていよう。オノマトペに関しては、「ぞろぞろ生まれ」には愛でたさよりも滑稽な趣きが、「まろまろと死す」にはどこか愛おしんでいる感じがある。(慧子)

 
           (紙上意見) 
 月に地震があり、それに触発されるようにハムスターが出産し、死んでゆくと詠う。月が人間を含めた生き物の生理・生殖に影響を与えていることはよく知られている。月夜にこぞって産卵する、サンゴ・カメ・カエルなどなど・・・。これが事実かどうかはわからないが、月の地震に呼応するように多産のハムスターが出産し死んでゆくというのはありそうと感じさせる歌。生の「ぞろぞろ」が怖くて、死の「まろまろ」がかわいらしく、鼓動する宇宙のひび割れから、命が生まれたり、死んだりする不思議さを表したかったのかもしれない。(菅原)


           (当日意見)
★月震って広辞苑にはなかったのですが。(A・K)
★ウィキペディアに出ていました。読んでみます。「月に起こる地震のことである(以下省略)」(鹿取)
★「月震ぞ」というのは初句切れ?それとも月震なのでというように続いているの?(A・K)
★「ぞ」は強意だから、月震なんだという初句切れかな。月震なんだと強く提示している。もちろん意味的
 には続いていくんだけど。月震の起こ っている時にハムスターが一方では生まれ一方では死ぬ。「方丈
 記」の淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて……みたいですね。【生の「ぞ ろぞろ」が怖くて】
 というなん だか逆説的な菅原さんレポートが面白かったです。(鹿取)
★お二人ともきちんと読まれていますね。渡辺さんって意識的にオノマトペを使われますね。ちょっと対句
 風ですね。(A・K)

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写真入り 馬場あき子の外国詠 151(ネパール)

2020-01-06 19:26:19 | 短歌の鑑賞
     
     ジョムソン空港へ迎えに来てくれた近藤亨氏と馬場あき子(うまく撮れていなくてすみません)       

   写真入り馬場の外国詠 18(2009年5月)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁~
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


151 ムスタンに生きてぶ厚き肉身を開き抱擁せり命残さん

      (レポート)
 ムスタンに生きて労働している氏の体は年齢の割にしっかりしている。と、挨拶を交わした時に感じられたのではないでしょうか。永遠に氏の思いがムスタンに生き継がれて欲しいと思われたのだと思います。(N・I)


      (まとめ)
 これは近藤氏とお別れする場面だろうか。長年、ムスタンで農業指導をして来られた氏は、精神も肉体も頑丈であった。その分厚い体で抱擁をされた作者。結句の「命残さん」は二人ともに掛かっているのだろうか。近藤氏に今後も元気でこの地で頑張って欲しいという思いと、自分も長生きして近藤氏の業績を語り継ごう、そして自分は自分の出来る文学で生を全うしよう、という熱い思いなのだろう。(鹿取)

 
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馬場あき子の外国詠 149(ネパール)

2020-01-05 17:47:14 | 短歌の鑑賞
   馬場の外国詠 18(2009年5月)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁~
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


149 開拓はなほ哲学とほほゑみぬ標高三千六百のガミ農場に

     
              (レポート)
 現状に飽きたらずになお高地を目指す、戦争体験者(たぶん)の開拓魂は氏の生きる証なのだと思います。(N・I)


        (当日意見)
★この歌と戦争体験と何か関係がある?歌の言葉にそって解釈しないとダメじゃない。
   (佐々木実之)
   

         (まとめ)
 ほほえむ主語は近藤亨氏である。70歳を超えて私財をなげうちネパール、ムスタン地方の農業発展に尽くされ、学校や病院も多く建てられた。そして3600メートルのガミ農場に稲を稔らせることに成功された。そんな近藤氏に、なぜ不可能と言われた高地に稲を栽培しようなどと考えられたのか、作者が尋ねられたのだろうか。すると「やっぱり哲学ですなあ」と言って氏はほほえまれた。この歌の背後にはその情熱に感服している作者の顔が見える。(鹿取)

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写真入り 馬場あき子の外国詠 148(ネパール)

2020-01-04 19:42:19 | 短歌の鑑賞
    
     ホテルからシャン農場へ行く道、橋がないので石伝いにカリガンダキ河を渡る

    
     上の写真と同じ場所を浅瀬なので馬で渡ってくる近藤亨氏    


  写真入り馬場の外国詠 18(2009年5月)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁~
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


148 ムスタンの林檎を食めばしぶきしてさびしきヒマラヤの水匂ふなり

      (レポート)
 日本のように水が豊富ではない土地で作られた林檎を一口かぶり、その思いの他のみずみずしさに作者独特の感性の表れがさびしきヒマラヤの水匂うと表現されて素晴らしいと思いました。
 (N・I)


     (まとめ)
 ムスタンのシャン農場でもぎたての林檎をいただいたが、ほんとうに水分たっぷりのほどよい酸味と甘みがあって美味しかった。「しぶきして」というところに、いかにもみずみずしい感じが出ている。リンゴが含むヒマラヤの水を「さびしき」と形容しているが、荒涼とした砂礫ばかりの風景の中にあって、言われてみればで「さびしき」としかいいようのない水なのであった。(鹿取)
 

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写真入り 馬場あき子の外国詠 147(ネパール)

2020-01-03 17:38:28 | 短歌の鑑賞
   


  写真入り馬場の外国詠 18(2009年5月)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁~
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


147 ムスタンのシャン農場にかけろゐて貴種のごと生む卵のひかり

     (レポート)
 古語であるかけろと書くことによって、その地にとっての鶏の貴重さが表されている。たぶん放し飼いなのでは。村人達にとっても栄養源の光そのものです、卵は。(N・I)


      (まとめ)
 前作(ムスタンのシャン農場の鍛冶男まづ火を生めり鞴を引きて)に続くシャン農場での属目。鶏が放し飼いになっていて、広い林檎園などを駆け回っていた。溝や畝などをひょいと跳び越える姿を目にしたが、なるほど女王のような風格があった。卵を生む場所は決まっていたのだろうか。しかし、その輝かしい卵が住民の口に入るかどうかは聞きそびれたが危ういのではないだろうか。公的な農場のものだし、農場の貴重な現金収入源でもあるだろう。(鹿取) 
 

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