2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
『寒気氾濫』(1997年)
【睫はうごく】P160~
参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
402 ゆうぐれはいっぽんの樹へ向くこころ樹というは霧のなかなる耳
(レポート)
霧の中では、あらゆるものの細部が没して、作者にとって、たとえば樹は本質的な存在になるのだろう。つまり作者の心に寄り添って耳を傾け、聴くものとなる。「いっぽんの樹」としていることから特定の樹であるし、特定の一人を心に置いているのだろう。(慧子)
(当日発言)
★レポートで解説していただいても、「樹というは霧のなかなる耳」というのが理解できないんですが。(T・S)
★具体的にいうと霧が深い時に立っている樹が耳のように浮かび上がって見える、そういうイメージを浮かべると分かりやすいかも。美しいイメージですね。「いっぽんの樹」だから特定していますよね。自分が親しみを覚えるその木が、耳となって自分の心の思いを聞いてくれるのでしょうか。第二歌集『泡宇宙の蛙』では亡きお母さんのことを木に耳となって現れるとか詠っていますが、それはまた全然違う種類の歌ですね。(鹿取)
(後日意見)
死後の母も母なれば苦しかるらんやくらくらと木に人の耳でる『泡宇宙の蛙』
こちらは、死んでも母だから遺してきた子供の声を聴きたいとか、子供のことを知りたい一心で木に耳となって出てくるのだろう。(鹿取)
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