かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の短歌鑑賞  211

2021-04-25 16:29:06 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

211 存在ということおもう冬真昼木と釣りあえる位置まで下がる

        (レポート)
 存在について思惟を巡らすとき、又問いを発するとき作者にとって最も信頼できるのは木であろう。「木と釣りあえる位置まで下がる」とは、作者自身が木と対峙できるところまで下がるということだろう。そこで「下がる」だが、木の全景をとらえられるところまで後ずさりするの意味なのか、強風があろうともしっかりと動かない根の辺りまで身体を低くする「下がる」なのか、どちらだろう。位置とあるところから前者なのだろう。(慧子)


       (意見)
★「釣り合う」というのが松男さんのキーワードの一つで、いろんな歌に出てきます。天国と地獄
 が釣り合うとか、千年生きた木と今日死ぬ鳥が釣り合うとか詠われています。この歌も、釣り合
 うというのが物理的な距離ではなくて、木という存在と〈われ〉が「いのち」として均衡を保て
 ることかなと。(鹿取)
★おそらくそうだと思います。作者は大きな抽象的なことを思っていらっしゃって、存在として釣
 り合う位置なんでしょう。(石井)
★思惟の深さなんですね。(慧子)
★「冬真昼」という季節と時間がそういう思惟に適しているのかしら。(石井)
★この間鑑賞したところでも「冬芽がねばねば光る」とか、冬でしたね。(鹿取)
★本当に裸形というのか、冬は裸になっているんですね。木に親和感を覚えていらっしゃるから、
 木と同じだと。存在というと人間中心に考えがちだけど、この人はそうではない。(石井)
★どちらかというと木の方に基準を置いているのね、この人。(鹿取)


       (後日意見)
 鹿取の発言中の「天国と地獄が釣り合う」は内容的にまったく正確さを欠いていた。言及したかった歌は、次のとおり。(鹿取)
 地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり『寒気氾濫』
釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と『泡宇宙の蛙』
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渡辺松男の一首鑑賞 210

2021-04-24 17:00:26 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

210 仁王像秋のひかりをはじきたり骨格はもつ太き空間

(レポート)
 仁王とは金剛力士の別名をもつ。ちなみに金剛とは、金属中最剛の物の意でありながら、この仁王は金剛の類の金属質ではなく、一木作りでもなく、おそらく内部は空間であるところの乾漆像なのだろう。仏法を守護するものとして、又悪を寄せないもの(強者)として置かれながら、内部は太き空間を抱き込んでいる。強さを願って作られながら、表面は秋の光をはじいてやさしく、内部はむなしいものだと作者はとらえる。(慧子)


        (意見)
★慧子さん、内部は空しいものだと捉えられていますが、どこから出てきたのですか?(石井)
★空しいというのは空間ということです。(慧子)
★そうすると骨格=太き空間なので、骨格が空しいということ?(石井)
★私達の体にはは肉や骨が詰まっていますけど、この仁王さんは空っぽ。それは人間から見れば空
 しさに通じませんか?(慧子)
★作者はそこまで言っていらっしゃるかなあ。(石井)
★「内部はむなしいものだと作者はとらえる」の箇所を疑問にすればよかったですか。(慧子)
★仁王像の全体から転換して骨格に焦点を当てている。それを太き空間と表現しているんだけど、
 それって空しいかなあ。ものを剥いだ時に見えるものを表現されたのかなあ。骨格に持って行く
 のが独特な作者の目ですね。(石井)
★仁王像は大きいから一度に作れなくていろんなものを寄せて作る。だから中に空間ができる。(曽我)
★あんなものすごい形相をした仁王さんの内部が空しいところに作者の目は行っていると思う。太
 き骨格を持っているのに内部は空っぽ。(慧子)
★この仁王像が乾漆づくりだとは断定できないですね。内部まで土の詰まった塑像の仁王もありま
 すから。乾漆像だと確かに内部は空洞かもしれないけど、それだって骨格そのものは空洞ではな
 いでしょう。また。「骨格はもつ」って、内部の空間ではなくて、ダイナミックで逞しい骨格が
 占めている空間のことを言っているのではないでしょうか。「太き」というからには空虚とか空
 しいには繋がらない気がしますが。ここには肯定的な何かがあると思います。(鹿取)
★何もかも肯定的だったら歌の深みが出ない。「太き」を肯定でとったら当たり前でつまらない。
 ここは極端に言えば、存在というものは空しいということでしょうかね。(石井)


(後日意見)
 木を詠んだほかの歌もそうですが、作者には太い骨格、地面をしっかり踏みしめて自分で立っているものへの憧れがあるように感じます。夏の光は強烈だ。強烈な光であれば、物の陰影がくっきりはっきり色濃く浮かび上がってくる。秋の光は柔らかい。柔らかい光であれば、物の陰影はあいまいになり、輪郭もやわらかになる。穏やかで、優しい気持ちになる。仁王像は、そんな柔らかくやさしい光さえも弾き返し、筋骨をくっきりと浮かび上がらせ、がっしりと地をつかみ、体全体に力をみなぎらせて立っている。柔らかな秋の光の中で仁王像を見上げた時に感じた、その圧倒的な存在感を「太き空間」と表現したのではないでしょうか。(T・H)

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渡辺松男の一首鑑賞 209

2021-04-23 17:31:16 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

209 星雲が幾億の星孕みつつ哭いていないとどうして言える

      (レポート)
 はてしなく、とらえきれない宇宙の銀河系内外、いずれにもある星雲が幾億の星からなっていること、「孕み」はとほうもなくて想像すらあたわない。その感覚は哭きたいほどの言いしれぬものなのだろう。それを、そのまま星雲に移して「哭いていないとどうして言える」と詠った。説明によらず、このように身体的に表現されるとよく胸に落ちる。(慧子)


       (意見)
★やはり人間に擬しているのだと思います。星雲でも何でもこの人は自分のように考えていらっし
 ゃるのよね。(曽我)
★ハッブル望遠鏡では100億光年のかなたが見えるそうですが、星雲は雲のように泡立っていて
 泣いているように見える、そんな状況を思い出します。そこで星が生まれなくなっていく。人間
 にもあるように宇宙にも生死がある。そんな宇宙の悲しさを感じました。(石井)
★これは私、好きな歌です。「哭いていないとどうして言える」と反語的に言って「哭いてい」る
 ことを強調しています。心が無いはずの星雲そのものが哭いていると作者は感じているんです。 
「孕み」だから妊娠するように幾億という数えきれない星を星雲はお腹の中に抱えていて、これ 
からもそれを生み出してゆく。あるいは無数の星から構成されていることを比喩的に「孕む」と
 言っているのかもしれませんが。慟哭の「哭」で「哭く」だから大泣きしてるんです。存在を生
 み出す母性の恐れや悲しみが意識にあるかもしれないけど、「存在」そのものがもつ不安とか悲
 しさを詠んでいると思います。宇宙というスケールで、「在る」ということを考えると星雲だっ
 て哭きたくもなりますよね。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞 208

2021-04-22 16:12:56 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

208 風にやられて万の葉裏を晒せるにだれもレイプと言ってはくれぬ

       (レポート)
 風に吹かれる樹木がいっせいに葉裏をさらされる状態を樹の側からこんなふううに呟いてみた。言葉を持たない木のためにと言うのではなく、木に会えばおのずから対象と一つになる作者。(慧子)
                          

        (意見)
★私はすごく単純に考えて、木の葉の裏って誰も見たくないじゃないですか、そういう見たくない
 ものを見せられる、風によって暴力的に晒される、だからレイプという表現にしたのかなあ。葉
 の裏は変に白かったりして美しくない。風が木としての有りようを変えちゃった。擬人化した言
 い方なのでちょっとこんがらかりますね。(石井)
★レイプという語がどうも唐突だと思っていましたが、そういうことですかね。「恨み葛の葉」な
 んって歌もあって、葛の葉は風に飜ると裏が白くて目立つそうです。(鹿取)
★でも欅なんかの葉の裏って美しいですよ。(慧子)
★まあ、いろいろの考え方がありますから。美しいものを晒させるのもレイプですかね。一斉に晒
 させられる訳ですから。(石井)
★美しいものを晒させられるのがレイプなのか、醜いものを晒させられるのがレイプなのか、分か
 らないけど、自分だったら醜いものを晒す方が嫌ですね。何か私が作者の意図を見落としている
 のか、どうもレイプというのがよく分からないです。(鹿取)


      (後日意見)
恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
人形浄瑠璃や歌舞伎などで、通称「葛の葉」として知られる話に出てくる歌。狐が恩返しの為、人間の妻になって一子を儲けるが、正体が分かって去っていく時にこの歌を残す。「葛の葉」は狐の名前と植物名の掛詞。(鹿取)


        (後日意見) 
 作者が女性だったら、絶対にこのようなかたちで「レイプ」という言葉は使わないと思いました。
「言ってはくれぬ」とも。「風にやられ」たあと、もう元には戻らない。大きな傷が残り、世の中、人生が変わってしまう。「風にやられ」たことを、必死で隠そうとする。平然と、何事もなかったように装おうとする。私だったらそうだと思う。だから、こんなかたちで、この言葉を使ってほしくないというのが、正直な感想です。(T・H)
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渡辺松男の一首鑑賞 207

2021-04-21 18:45:46 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

207 見上ぐれば風を巻き込み俺様は貪欲なるぞと椨(たぶ)の木がいう

      (レポート)(慧子)
 見あげた作者に椨の木が言った内容は「風を巻き込み俺様は貪欲なるぞ」。なるほどあの椨の木であればその言葉もうなずける。ゆれる、しなう、そよぐ、そんな言葉では追いつかない感じをレポーターも思う。ここは対象になりきるのではなく、人間の特性を木に見て、ユーモラスな一首。
  *椨:クスノ木科の常緑高木。葉は厚くつやがある。5~6月に枝先に黄緑色の小さな花を群
     生する。果実は直径1センチ内外の球形。本州以南、台湾、中国などの暖地の海岸近く
     に自生、材は枕木、家具、楽器など、樹皮は黄八丈織物の染色に用いる。
                         (新世紀百科辞典)

        (意見)
★「風を巻き込み」は叙述部分で、椨の木が言っているのは「俺様は貪欲なるぞ」だけですよね。
   (鹿取)
★椨は綺麗だし、風にも強い逞しい木ですね。(曽我)
★「対象になりきるのではなく」、は作者が椨の木を客観的に見ているということ?(石井)
★はい。(慧子)
★客観的に見ているだけで、それを人間に投影しているとは思いません。「人間の特性を木に見て」
 はなくていいと思います。椨の木の生命力の強さとか生きる逞しさを風さえも巻き込むと例示し
 て「俺様は貪欲なるぞ」と言わせている。(鹿取)
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