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2大聖地~世界遺産比叡山と高野山の旅4

2022-10-25 23:51:13 | 旅行



9月30日(金)
比叡山を後に和歌山県の高野山に向かいました
15:30 西室
秘仏前立ちの本尊様は不動明王坐像
門前の五輪塔は源三代将軍頼朝、頼家、実朝の供養塔で高野山にある現存の石塔中最古のものとして著名です。五輪塔を参拝し、外観をちょっとだけ撮影しました。


源三代将軍頼朝、頼家、実朝の供養塔・五輪塔
五輪塔は大日如来を象徴したものです。

高野山の宿坊へ
宿坊 赤松院
奥の院に近く、二千坪の雄大な庭園がご自慢とのことです。
高野山には117のお寺があり、そのうち、51に宿坊があるそうです。



コロナ禍で、部屋をリニューアルして、お風呂場など新しくなりウオシュレットも付いて快適でした。


入り口にはご立派な仁王像がありました。


庭園の前に神社がありました。


勿論、精進料理の夕食です


上段の間には、江戸時代の名彫刻家、左甚五郎作の「木彫の虎」がございます。
上に貼ってある切り絵は宝来といって、空海が中国からもたらしたもので、しめ縄の代わりのようなものです。室内室外問わず見かけました。


夕食後、壇上伽藍のナイトウォークに行きました。
高野山は中心に壇上伽藍エリアがあり、高野山真言宗の総本山金剛峯寺があるエリア、弘法大師御廟がある奥の院エリアからなっています。
夜なのでライトアップはきれいですが、全体を見たり、中には入れませんし、
根本大塔
弘法大師が高野山開設にあたり、この大塔を真言密教の根本道場として建立
816年から887年ごろまでに完成。何度か火災にあい1937年鉄筋コンクリート造りで再建されました。高さ48.5m。
大日如来、十六大菩薩、立体曼荼羅
右の白い建物は鐘楼です


金堂
高野山全体の総本堂で主要行事のほとんどを行う。現在の建物は7度目の再建で1932年完成。鉄筋コンクリート造。
本尊は高村光雲作の薬師如来

御影堂
お大師さまの持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。
堂内外陣にはお大師さまの十大弟子像が掲げられています。このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでしたが、近年旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。
御影堂の回りには「ドレンチャー」という装置が建物の周囲に水を張りめぐらせ、下から5m近い高さまで、水が噴射され、建物を丸ごと包んで、火を消します。
高野山は火災との戦いでもあったのです。


西塔
弘法大師は伽藍建立にあたり、大塔と西塔を、大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として二基一対として建立する計画をお持ちでした。しかし、事情により建設が遅れ、お大師さま入定後の仁和2年(886年)に完成に至る。現在の塔は、天保5年(1834年)に再建された、擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で、高さは27.27メートルです。多宝塔様式としては日本最初のもの。
本尊は胎蔵大日如来。
一般公開はされていません。




中央の扉から覗いて写真を撮りました(*^^*)

三鈷の松 松の葉が3つになっているものがあるので、見つけると縁起がいい。


東塔
天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。


中門
壇上伽藍の入り口
高野山開創1200年記念大法会の記念事業として2014年に再建。
持国天(じこくてん)像・多聞天(たもんてん)像・増長天(ぞうちょうてん)像・広目天(こうもくてん)像が四天王像が中門を、ひいては伽藍全域を守護しています。




大門
高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートル。左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。


嶽弁財天社(だけのべんざいてん)
大使が招来して創祀した弁天様。
創建以来、高野山の僧侶によって管理されていたが、江戸時代以降、高野山内や近郊の人々により結成された(弁天講)により管理されている。
大門から約1kmくらいです。


町石(ちょういし)
高野山の中心迄ここから九町あるという距離を現しています。
1町=約110mなので約990mと言う事です。
正式な参詣道の始まりは山の下の慈尊院から、ここは180町となっていて、高野山中心まで約20kmと言う事です。
大門に7町が立っています。
1町は壇上伽藍で空海が最初に開いた修行の場所です。
ゼロ町は根本大塔になります。
この形は五輪塔と呼ばれ、上から空・風・火・水・地で宇宙の成り立ちを現しています。


町石
十町=1100m


10月1日(土)
朝食前に朝のお勤めを体験しました。
朝食後、出発まで奥の院入り口がすぐ近くなので、途中まで行ってみました。
司馬遼太郎文学碑


北条氏御墓所






武田信玄・勝頼 御墓所


バスで、金剛三昧院
愛染明王霊場


写真はここまでです。中は撮れません。


中の橋の駐車場にバスを止めて、案内人と一緒に奥の院を歩きます。

親鸞上人


加賀 前田利長墓所


法然上人墓所


道の両脇には、多くの墓所、供養塔が並んでいます。


結城秀康(家康の次男)石廟 重要文化財


御廟橋
橋の手前からしか写真が撮れません。
この橋の先は燈籠堂が見えますが、その後ろ側に弘法大師御廟があります。空海は御廟で生きているといわれ、一日に二回この橋を渡って食事を届けます。この儀式を生身供(しょうじんぐ)といい、1200年届けていると言う事です。私もこの橋を渡って弘法大師御廟にお参りしました。


橋の手前で拡大すると正面に燈籠堂が見えました。




奥の院にあるお墓、供養塔の有名人
戦国武将がずらりと並びます
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
上杉謙信
武田信玄
伊達政宗
明智光秀
松下幸之助
喜多川家(ジャニーズ創業者)
会社では、ヤクルト、UCC、日産など

精進料理の昼食


これで今回のツアーは終了です。
伊丹空港で、それぞれの地方へ帰る方たちと別れ、私達は、羽田AP→新千歳APで帰宅しました。
比叡山、高野山とも寺院の中は全然写真が撮れなくて、お墓の写真ばかりが多くなってしましました(^-^;
それでも、世界遺産であり、歴史や文化自然などが凝縮した素晴らしい景趣地を巡ることができました(*^^*)