30/10/2018
2018年の秋のことだった。
半年後に定年を控えていた私に同じ係の若者たちが、「退職の記念として3月の鹿児島マラソンに係みんなで走りましょうよ。」と言ってきた。
走るのは元々好きな方で若い頃には指宿マラソンや桜島ハーフマラソンに参加したのだが、ある年にインフルエンザで棄権してそれっきりになっていた。
今回の鹿児島マラソンは明治維新150年という記念すべき大会で参加希望者もかなり多いと聞いていたが、まさか自分が走ろうなどとは夢にも思っていなかったところ、若い女性たちから口々に囁かれ、ついついOKしてしまった次第である。
結果的には殆どが初心者だったにも関わらず、我が「チームドンマック」は全員が時間内に完走することができて本当に心に残る良い思い出となった。
新しい年度になり4月から違う職場で再雇用として働くことになった。
1日中パソコンと向かい合う仕事で椅子に座ったまま殆ど動かなかったため、折角締まっていた体もだんだん元に戻ってきたので、これではいかんと夏頃からジョギングを再開することにした。
順調に距離を増やしていったが、どうも去年とは違う。
普通に走れるのだが走り終わってクールダウンをする頃に咳が出始めるのだ。
そういえば、夏くらいから職場でも変な咳が出ていたな。ひどい咳ではなく、コホッ、コホッという小さな咳が人との会話の合間、特に電話を受けて話している時にとか・・。
あと出勤途中の車の中でラジオに合わせて歌い始めると、すぐ咳き込んでしまって、そこで歌えなくなるということがあった。
うがいや風邪薬でしばらく様子を見たのだが改善せず、仕事の帰りに掛かり付けのクリニックで診てもらうことにした。
先生は胸に聴診器を当てて、「まあ、大丈夫だろうけど念のために胸のレントゲン撮ってみようか?」と言うことになり撮影する。
それを見た先生は、
半年後に定年を控えていた私に同じ係の若者たちが、「退職の記念として3月の鹿児島マラソンに係みんなで走りましょうよ。」と言ってきた。
走るのは元々好きな方で若い頃には指宿マラソンや桜島ハーフマラソンに参加したのだが、ある年にインフルエンザで棄権してそれっきりになっていた。
今回の鹿児島マラソンは明治維新150年という記念すべき大会で参加希望者もかなり多いと聞いていたが、まさか自分が走ろうなどとは夢にも思っていなかったところ、若い女性たちから口々に囁かれ、ついついOKしてしまった次第である。
結果的には殆どが初心者だったにも関わらず、我が「チームドンマック」は全員が時間内に完走することができて本当に心に残る良い思い出となった。
新しい年度になり4月から違う職場で再雇用として働くことになった。
1日中パソコンと向かい合う仕事で椅子に座ったまま殆ど動かなかったため、折角締まっていた体もだんだん元に戻ってきたので、これではいかんと夏頃からジョギングを再開することにした。
順調に距離を増やしていったが、どうも去年とは違う。
普通に走れるのだが走り終わってクールダウンをする頃に咳が出始めるのだ。
そういえば、夏くらいから職場でも変な咳が出ていたな。ひどい咳ではなく、コホッ、コホッという小さな咳が人との会話の合間、特に電話を受けて話している時にとか・・。
あと出勤途中の車の中でラジオに合わせて歌い始めると、すぐ咳き込んでしまって、そこで歌えなくなるということがあった。
うがいや風邪薬でしばらく様子を見たのだが改善せず、仕事の帰りに掛かり付けのクリニックで診てもらうことにした。
先生は胸に聴診器を当てて、「まあ、大丈夫だろうけど念のために胸のレントゲン撮ってみようか?」と言うことになり撮影する。
それを見た先生は、
「う~ん、肺のこの下の方なんだけどね・・。
白くモヤモヤって曇ってるでしょ。これはスリガラス様陰影って言って「間質性肺炎」の特徴なんだよね。
でも、CRPとかLDHは正常だしねえ。
まあ、うちは専門じゃないからはっきり言えないけど、一応、KL-6というこの病気の検査を外注してみょうね。
2、3日かかるけど結果が出たらすぐ電話するから・・」
と言うことでその日は帰ることになったのである。
と言うことでその日は帰ることになったのである。