
今日の新聞に恒例の鹿児島県下一周駅伝のコースとチーム編成が掲載されていました。
今年も息子が選手としてエントリーされていましたが、すでに34歳のベテランで残念ながらピークは過ぎており今回は実際の出番はないだろうと言ってました。
でも社会人になってからすぐに地区代表の選手に選ばれ、自身も女子駅伝の元ランナーであるお嫁さんの理解と十分なサポートのおかげもあり13回も連続出場できたことは我が子ながら褒めてあげたいと思います。
親である私も何回かフルマラソンに挑戦し、その度にゴール地点で座り込んで「もうコリゴリだ・・」と天を仰ぐのですが、しばらくすると来年はもっと良いタイムで走れるのではないかと思い始め、またジョギングを始めるという繰り返しでした。いい意味で中毒性があるんですよね。
特に定年の年に若い同僚たちと走った明治維新150周年記念の鹿児島マラソンは最高の思い出となり、みんなでゴールした後に「来年も一緒に走りましょうね」と言ってくれたのに、奇しくも翌年の練習中に咳が長引いたことでクリニックを受診し間質性肺炎が発覚したのでした。
退院後は筋力も落ちて歩くことさえままならなかったのですが、毎日の散歩を続けるうちに小走りでモコ助を追いかけられるようになりました。
このまま順調ならばまたいつか走れるのではないかとあまいことを考えてはいます。
(走るどころか数年先の命も分からないという難病であるのに)
ただ、あれもできない、これもやってはいけないと家に籠る消極的な生き方で徐々に衰えていくよりは、あれもやってみよう、これもできるかもと日々積極的に毎日を過ごした方が最後の時に悔いが残らないと思うのです。
最近は誰もがコロナや経済や自分の病気のことなどで心配は尽きませんが、「心配」というのはまだ起こってもいない未来への漠然とした恐れに過ぎないし、今の時点でそのことをいくら悩んでも解決できるものではありません。
わからない未来のことに対して恐れるより、しっかりと今に目を向けて自分が選んだ道を一歩づつ歩いていきたい。
先ずは春になったら久しく行っていない山登りに二人で行ってみようかなと思う今日この頃です。