もう1週間以上前のことになりますが、10月21日(木)「江戸東京博物館」へ出掛け”~江戸が愛した風景~”との副題の付いた「隅田川」展を観て来ました。この催し9月22日(木)~11月14日(日)まで開催されています。「江戸東京博物館」のホームページから、この「隅田川」展を紹介した文を抜粋します。
『隅田川は、江戸の人々にとって輸送の大動脈であると同時に、江戸の名所として、あるいは江戸の名所を数多く抱えた川として深く愛され、親しまれてきた川です。そのため隅田川や、隅田川周辺にある数々の名所は、江戸時代を通じて無数の絵に描かれてきました。この展覧会は、当館が20年以上をかけて収集してきた隅田川の絵を初めてまとまったかたちで一挙に公開するとともに、他に所蔵されている名品とあわせて、描かれた隅田川の多彩な世界をご覧いただくものです。そして描かれた隅田川を通じて、江戸の文化や生活の中に根ざした隅田川というものを再確認していきたいと思います。』
紹介文の通り、隅田川やその周辺の名所に出掛け来て遊ぶ、江戸庶民の活き活きとした表情が登場して来ます。舟遊び、食道楽、お花見などいわゆる物見遊山に加え花火見物や相撲見物、吉原通いの風景も描かれ、その風景の中心に隅田川が位置します。
遊ぶ人々の溌剌とした表情が素晴らしいと思います。梁塵秘抄に登場する”遊びをせんとや生まれけむ”好きな言葉の一つですが、それを地で行く江戸時代の人々を浮世絵師達が表情豊かに描きました。200年ほどの年月を隔てても共感できる江戸時代の生活の一断面が描かれていました。
庶民の表情のみならず隅田川近辺の名所図会も数多く登場して来ます。
乳待山や江戸中州や日本橋などです。遠景として描かれるのが富士山と筑波山の、今も遠望できる峰二つ。その頃の人々の方がこの峰への思い入れが深いようです。両国橋に群がる大多数の人の群れ。橋はこんなにも頑強だったのかと驚いていると、永代橋が真っ二つに割れ、多くの人が川に墜落していく有様を描いた絵もありました。
一枚の絵の前で足が釘付けになりました。不覚にも絵の作品名を記憶して来ませんでしたが、隅田川とそこに流れ注ぐ神田川を中心に据えて、それらを見渡す大きな”眺望図”。柳橋で隅田川合流する神田川の上流を眼を細めてよく観ると、湯島の聖堂が描かれ、今の水道橋付近で神田川に掛かる箱橋が辛うじて見えます。
当たり前ですが、普通、橋は人や車が通るもの。その橋は、それらの橋とは全く違って懸樋の橋です。そうです、”水道橋”名前の由来となったように、文京区関口にある大洗堰から地下に潜り、石造りの道を流れて来た神田上水は箱状で神田川を越えます。川を越えた上水は、武士や町人の飲料水や生活用水として用いられました。
水の道が掛かる橋、その有様が実に小さな図として描かれています。距離感は別にしてこの鳥瞰図全体が江戸の町の精密な描写になっている事を知ります。”水道橋”は浮世絵に主役としても登場してますが、巨大な絵画のほんの一点にも正確に描かれていることに興奮し、感動しました。