10月6日(月)、台風が関東を直撃した時刻、富士神社には澤さんをはじめとして、ラジオ体操おたくの6名が集ってきた。その台風が去って直ぐ、自宅からは富士山が遠望出来、午後には晴れ間が広がった。雨中での観劇を危ぶんでいた私たちは天候回復の幸運を喜んだ。 頂いた10月の歌舞伎座のチケット、同封されたパンフレットには玉三郎出演とあった。テレビで、インタビューを受けている様子は見たことはあったが、女形としての舞台は観たことがなく、初めて玉三郎を観られることが大きな楽しみだった。
「十月大歌舞伎」は十七世中村勘三郎の二十七回忌 十八世中村勘三郎の三回忌の追善興行。
夜の部は 1.菅原伝授手習鑑 寺子屋
2.道行初音旅 吉野山
3.鰯売戀曳網
忘れかけていたが、勘三郎が突然に世を去ったのが2012年12月。早や2年が経とうとしている。「寺小屋」では武部源蔵・戸浪夫婦を長男・勘九郎と次男・七之助が熱演。松王丸を片岡仁左衛門が、千代、実は、松王丸の妻役を玉三郎という豪華キャスト。
その夜の演目は全て初めて観るものばかりだったが、分かり易いストーリーであると同時に、イヤホンガイドの助けもあり、”言語の壁”は無かった。 「寺子屋」は文字通り、菅原道真の一子菅秀才が寺子屋で学んでいるところから舞台は始まる。匿ってきた秀才の首を差し出せと命じられた武部源蔵は、悩んだ末に、その日に初めて弟子入りした小太郎を打ち取り、その首を代わりに差し出す。首実験に来た松王丸は、その首を秀才と認めて去っていく。源蔵は、小太郎を迎えに来た母の千代をもなきものにしようと、切りかかるが、そこへ松王丸が再度現れ、千代を助けると同時に、意外な真相を語りかけるのだが・・・。
なんともむごい、ひどい話だが、主家の為ならと、悩みつつも、結局は他人の子どもを殺害してしまう源蔵夫婦。「すまじきものは 宮仕え」とはこの源蔵の言葉に端を発するとはイヤホンガイドからの”耳学問”。
現代から見れば理不尽と思える行動形態であるが、その当時はそれが宮仕に生きるもの倫理であった時代の物語。宮仕の倫理と、人の情の間で懊悩する源蔵と戸浪。勘三郎の長男・次男の二人がぴったりと息が合った演技を見せてくれる。
仁左衛門からは悲嘆にくれる姿が、小太郎を犠牲にした玉三郎からは母の絶望がひしひしと伝わって来る舞台だった。(写真:寺子屋より、左から七之助・勘九郎・仁左衛門)