10月25日(土)も忙しい一日だった。
午前中は「伊勢物語」講座へ参加。会終了後は、その「源氏の会」の皆さんを昼食から浅草までご案内。午後3時にはご一行と別れ、目黒で開かれるクラス会へと向かった。 『伊勢物語』全125段のうち、今回が第23段~第25段。第9段は既に読了していて、そこには有名な”都鳥”が登場していた。本物語の主人公・在原業平は二条后との密会が世に知られることとなり、”身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、東のかたに住むべき国求めに、とて”やって来た東国で、角田河(現隅田川)を舟で越えた。「名にしおはばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は在りやなしやと」の歌で名高い場面だ。
ではどの辺りで渡舟したのか。江戸時代末期には現言問橋付近と信じられ、その辺りは「言問ヶ岡」などと呼ばれ、当時の牛嶋神社参拝客目当てに”言問団子”と命名して売り出した団子は大当たりしたこともあったが、ここではない。
言問橋の上流に架かるのは桜橋。江戸時代は「竹家の渡し」と呼ばれたが、実はここでもなく、更に上流に掛かる白髭橋(かっての白髭の渡し)と現水神大橋の間というのが有力。・・・これらは妻のレポートからの抜き書きだが・・・。
兎も角『伊勢物語』を読む会としては、向島百花園直ぐそばに住む島谷さんと妻をガイドとして、それらの橋々を眺めては往時を忍び、併せて牛嶋神社などを巡ろうという計画を実行に移したのだった。(写真:「伊勢物語」色紙:渡川の業平たち)
当日のコースは
海上海(昼食)→上野広小路→浅草→吾妻橋→牛嶋神社→言問橋の袂→三囲(みめぐり)神社→向島百花園 と巡った。
私は吾妻橋渡った後、一時一行とは別れ、桜橋袂の「長命寺桜もち」へと急いだ。予め、6個入(1350円)7つと、バラ(200円)9個を注文しておき、午後2時に受け取り、三囲神社に引き返し、再会した。 この三囲神社、見るべきものは多かった。有名なのは三井から寄贈されたライオン像。2頭が揃えば、”狛犬状”のライオン像となってしまうが、幸い一頭のみ。この前で記念撮影。更に、奥には三角形の鳥居が立っていた。詳しくは調べていないが、これまた珍しい例と思う。(三囲の”囲”から”口”を取れば三井となる。それがあって、三井は三囲神社のスポンサーとなった、と私は推理している)
この時点で3時を回り、私は目黒「やまきた」のクラス会へと急いだ。買った桜もちを食したのは、クラス会から帰宅した22時であった。流石に、もちもちとしたお餅、美味だった。
(三角形をなす鳥居。三井の三と関係あるか?)
(三囲神社正面。ライオン像も見える)