マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

安全神話も大崩落

2011年03月16日 | 身辺雑記

 かって原子力発電会社や政府は、原子力発電に反対する人々に「原子力は絶対に安全」なる神話(=理屈)を展開して来ました。しかし今、東京電力福島第一原発で起きている事態は原子力発電が決して安全ではないことを如実に示しています。
 6基ある原子炉のうち、4基は損壊し、原発周辺では高いレベルの放射線が検出されているという。放射線量が異常に高くなり、復旧作業がきわめて困難になり、爆発が起きた4号機では人間が構内に入れず、東電はヘリコプターによる散水を米軍に要請するとも言う。
 
 この事態に到るまでの東電の対応に大きな不信感を抱きました。起っている事態を正確に伝えようとせず、と言うよりもむしろ、事態を隠そう隠そうとする姿勢を感じ、不快感さえ覚えました。記者会見では記者用にA4のレジメが渡され、それを前提に説明がされていますが、専門用語が飛び交い、レポート用紙が手元に無い一般国民には分りずらい説明が繰り返されるだけでした。説明責任は記者団に対してではなく、その背後にいる国民に対してであるという、本質の認識がまるでありません。事態を分り易く、正しく伝えようという姿勢が全く感じられません。又もや大会社の志の低さを垣間見る結果となっています。
 政府の危機管理にも不安を感じます。一番大事なことは「正しい情報の速やかな開示」だと思います。あの地域に住む人々の命と安全を守るためにも情報を正しく、迅速に伝えるべきだと思います。
 福島からはかなり離れた地域に住む私達はどう行動するのがベストなのでしょうか。何を為すべきであり、何を為すべきではないのか。多くの情報をフルイに掛け考えたいと思います。

 4日も前に、私宛にメールをおくって呉れたある知人の先見の明を思います。
 『大変なことになっているようです。炉心溶融が始まりそれが3~4基になりそうとは。恐ろしいことなのにニュースは難しい解説ばかりで、家から出ないようにとか、放射能の怖さを言わないのはとてもまずいと思います。放射能のヨウ素を防ぐ為にヨード剤を買いに行ったらどこも売っていない。仕方がないのでとろろ昆布をたくさん買ってきました。1日50㌘ほど3~4日食べると、先にに甲状腺に溜まるので放射能のほうはスルーするそうです。・・・』


  


外語大跡地、西ヶ原みんなの公園へ

2011年03月15日 | 身辺雑記

 東京外国語大学(外語大)跡地に、「西ヶ原みんなの公園」が造られ、その公園が防災対応機能を備えていると聞いて、出掛けてきました。徒歩では片道30分以上掛かる場所なので、今日は、早朝散歩を自転車に変えて、少し遠出をしました。
 かって、新婚時代に外語大付近に住んだことがありました。その外語大へは、交通機関利用の場合、徒歩で、都電荒川線西ヶ原駅からは4分、都営三田線西巣鴨からは10分、JR山手線巣鴨駅からだとは15分は掛かかる、交通不便な場所にあり、それほど広くない敷地に立つ、こじんまりした感じの大学でした。2000年から府中市へのキャンパス移転が開始され、移転完了後、たまに散歩で出掛けると長い間更地になっていましたが、数年前「特別養護老人ホーム」などを含む社会福祉法人の建設が始まりました。



 その後はこの地を訪れることは無くなっていましたが、13日に、同じ町内に住むKさんから、この地に出来た公園は、災害時に避難地や救援・ボランティア・復旧活動の拠点として機能する「防災公園」として整備されていると聞いて、是非行って見たいと思い早速今朝出掛けました。今回の大震災に影響されてのことです。(白い部分が台地上の社会福祉法人:緑の部分が広場)





 
 台地の上に特養ホームが建ち、台地から緩やかなスロープで下に降りるとそこが公園です。中央は芝生広場になっていて、かってここは300mのトラックだったはず。ランニングに夢中になっていた頃を懐かしく思い出します。旧トラックの周りにはこの公園の最大の特徴たる、数々の施設が備えてあります。(台地やや下から撮影)








         (平常時はベンチ
                             (災害時は竈として利用可)

 







 



 平常時には地域住民の憩いの場となるよう公園全体をスロープの園路を整備し、災害時には、竈に変身するベンチ・非常用として利用できるトイレ・屋根にテントを張って利用できる「防災パーゴラ」などを備えています。防災倉庫は当然として、深井戸、災害用マンホールトイレなどの施設もあります。東海大地震の可能性が高いと言われる昨今、この様な施設は幾らでも欲しいところ。この様な公園を見ると、他の多くの公園がより高い備えを持った公園に変貌を遂げて欲しいと思うのです。

 




 


落語鑑賞会中止

2011年03月14日 | 行政書士奮戦記

 3月17日(木)に予定していました、東京都行政書士会文京支部主催の、三遊亭兼好師匠を招いての「落語鑑賞会」中止の決定をしました。ある支部会員からは「余震、誘発地震及び原発事故など未だ予断を許さない状況にある事」等から、又他の支部会員からは、計画停電が実施されることに鑑みとの理由から、「落語鑑賞会」中止または延期の提案があり、支部長とも連絡を取り、中止との決定に到りました。

 兼好師匠に連絡を取りますと、「今回の様な未曾有の事態の下では当然でしょうね」とのこと。また会場への交通手段についても不安を持っていたとも語っておられました。兼好さんにはじっくりと語って頂き、私達はその話芸を堪能したいとの思いで、その日の為に準備してきましたので、残念ではありますが、又の機会を待ちたいと思います。


巨大地震、東日本を襲う

2011年03月12日 | 身辺雑記

 今回の大地震に遭われ、震災を受けられた方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 3月11日(金)、午後2時過ぎ、突然、全く突然に、我が家も激震に襲われました。今までに経験したことのない激しい揺れでした。慌てて机の下に身を隠し、ただひたすら揺れの収まるのを待ち続けました。怖かった、ただ怖かったです。随分長い時間の様に感じられました。マンション9階にある我が家、その激しい揺れで、棚から多くのものが落下していました。本が、ファイルが、花瓶が落下していました。棚や本棚が倒れてはいませんでしたが、多くのものの滑落は激しく、原状回復に3時間以上かかってしまいました。東京の我が家でさえこの様な状態ですから、より震源に近かった方々の恐怖は如何ばかりであったことかと想像します。

 かって東北を旅したとき、過去にあった地震や津波の慰霊碑を所どころで目にしました。海岸際に、10mの、コンクリート造りの防潮堤を築いた町「田老」を訪れたこともありました。特に津波への備えも心構えもあったと思われますが、マグネチュード9.0という日本最大規模の地震と、それによる瞬時に近い津波は想定を超えるものであったことでしょう。

 3月6日・7日と旅した飯山線も、地震に伴う雪崩で線路が崩壊寸前の有様を、テレビは写していました。野沢温泉スキー場にも被害が出たようです。私自身がより直接的に被害を受ける可能性もありえました。今回の大震災、地震国日本では、他人事とは思えません。


青春18切符の旅へ(その3)

2011年03月10日 | 

 3月7日(月)
 戸狩野沢温泉駅(飯山線:11時21分発)→(12時37分発)十日町(飯山線:15時19分発)→(15時47分着)越後川口(上越本線:15時51分発)→小出(16時02分着)以下略

 旅に出て二日目の朝、まずは新潟県小出駅前にあるビジネスホテル「川善」にその日の宿泊の予約の電話を入れました。2日目はここに泊まり、3日目の早朝5時32分小出発の会津若松行きの只見線乗車の為です。

 Tさんとは戸狩野沢温泉駅で別れました。彼は、
その日の夕方からの勤務に就くため、9時47分発の飯山線で長野方面へ引き返して行きました。その後、長野新幹線利用で都心へ向かう予定です。(飯山線は長くて2両編成)






 いよいよここからは一人旅です。朝、野沢温泉では小雪が舞っていましたが、飯山線の人となった頃から雪は止み、小雨となりました。昨日は鮮明に見えていた千曲川は雨に煙り、少し霞んで見えます。途中駅「森宮野原」はJR積雪最高地点です。(ここの大雪は今から66年前のこと)








 何時しか県境を越え、新潟県に入り、積雪は増した様に感じられるうちに、うとうとと眠ってしまいました。「間もなく終点十日町です」との放送に目が覚めました。
(雪の壁の中を行く飯山線)






 あっ!と思いました。予定では「津南」で途中下車し、駅に隣接する温泉に入り、昼食に、牛蒡で繋いだ蕎麦を食する予定のところ、寝ている間に列車は津南を通過してしまっていたのです。何という失態!昨日は宿の宿泊日を1週間間違えていたことが判明しました。このところこういうミスが続きます。十日町で、悄然とした思いで下車し、肌寒く感じられる駅の待合室で、独り対策を考えました。
 漸く出た結論は、次の列車が出るまでの2時間余りの時間、津南でするはずだったことをこの十日町で実行しようとの事でした。そこで、町庁舎の観光課を訪ね、この町のどこかに温泉はないですか訊ねると、幸運にも越後妻有交流館「キナーレ」内に「赤石の湯」なる施設があるとのこと。
 小雨降るなかを20分ほど歩いて訪れた「明石の湯」には薬仁湯やサウナ・水風呂・休憩室も用意されている大きな施設。冷めた体を薬仁湯で温めた後、再び飯山線に乗り込みました。
 越後川口で上越本線に乗り換え、漸く到着した小出。列車から降りた瞬間に放送が流れます「只見線は大白川止まりです。会津若松へは磐越西線経由でお出で下さい」と。利用すべき只見線は越後・会津の県境を越えられないとの事。今朝、小出の宿に電話連絡したとき、只見線の様子を聞かなかったことが悔やまれます。信州での降る雪や雨の様子から察して、只見線が途中から不通とは想像もしていませんでした。
 今回の旅行に関連して3つ目のミス。只見川が見れないならば、旅はここまでにして東京に戻ろうと判断。ホテルにキャンセルの電話を入れ、何度か利用したことのある駅前の蕎麦屋へ直行。只見線は長いことずうっと不通で、3月になれば開通するのに今年は雪が深くて未だに不通と聞かされました。ミスが多くなった我が身を嘆きつつも、まだ何度か青春18切符を利用したいとも思いながら、長い時間を掛けての上越本線での帰路になりました。