マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

朝湯で旧友にばったり

2011年07月19日 | 身辺雑記

  ローカル過ぎる話題ですが、暫く前の日曜日、出掛けたご近所の銭湯「富久の湯」の朝湯で、大学時代からの友人T君に逢いました。
 大学時代T君は物理を、私は数学を専攻していました。専攻分野が違い、大学時代それほど親しい関係ではありませんでしたが、大学卒業後二人とも都立の教員となり、
同じ文京区に住んでいた関係で、街で会うことも多く、都立高校の現状が立ち話の内容でした。この10年ほどは街ですれ違うこともなくなり、てっきり引っ越しをしたものと思い込んでいました。
 その彼と、銭湯の朝湯で10数年振りの再会です。文京区内にある銭湯のうち、我が家から自転車で10分の所に銭湯「富久の湯」があります。土・日のみの朝湯ですが、朝風呂は、今どき文京区でも都内でも珍しい存在です。その朝風呂を私は珍重しています。
 T君の定年後の様子を聞くと、定年後の嘱託勤務も終了し、今は悠々自適の生活とのこと。私より3歳年下の彼も、生涯の”全勤務”を終了していたのです。そこで私「文京区の100円銭湯」の話を紹介しました。
 65歳以上の文京区民は、申請すれば”100円入浴券”が月に4枚、それに加えて年4枚の合計52枚が支給されます。それに該当する銭湯は区内に10ヶ所あります。そんな説明を遮ってT君曰く「それは私も知っているよ。私も65歳になるのを心待ちしていて、今日も当然100円入浴」との事。したり顔で多言を要したことを少し恥じました。
 この様な制度は他区や他の地方自治体でも実施されている事と思います。6月に訪れた港区の銭湯{玉菊湯」では”65歳以上の方に月4枚の無料入浴券”との貼紙が出されていました。問題は年金と同じく申請制度です。
 「富久の湯」は千駄木にあります。思えば千駄木の先住民Tさんがここを良く利用するのは当然のこと。又の”朝湯での偶然の再会”を約束して、別れました。


 
 


尾瀬盛夏

2011年07月17日 | 

  町内会の元気トリオKoさん、Kuさん、私の3人で、7月15日(金)~16日(土)に掛けて、尾瀬に行ってきました。Koさんは尾瀬に一度は行ってみたいと語っていましたから、何度も尾瀬に足を運んだKuさんと私が尾瀬をご案内しようとの話がまとまっていました。都内銭湯巡りの延長線上のイベントです。
 のっけから費用の話でなんですが、尾瀬へアプローチの交通費は、JRと路線バスを利用すると意外に高くつきます。そこで”夜行バスではない往復バス”をネットで検索した結果、新宿⇔尾瀬直行便が往復7000円で購入出来ることを知り、1ヵ月前にネット予約しておきました。

 7月15日(金)
  新宿(7時20分)→<尾瀬直行便 3時間40分>→(11時)戸倉(11時10分)→<マイクロバス 30分>→(11時40分)鳩待峠→<徒歩 50分>→山の鼻→<徒歩 2時間>→第二長蔵小屋

 7月16日(土)
  第二長蔵小屋→<徒歩 2時間>→沼尻→<徒歩 1時間>→大江湿原→<徒歩 2時間半>→大清水(16時10分)→<尾瀬直行便 3時間50分>→(20時)新宿


 二日間快晴に恵まれ、気がおけない仲間との快適な山旅となりました。ただ今夏、快晴の日々が多いのに、尾瀬を訪れる人は、例年に比べ少ないそうです。例えば第二長蔵小屋への15日の泊り客は30名強、16日は流石に100名ほどだそうですが、ウイークデイは相当空いているとの話。
 尾瀬は新潟県・群馬県・福島県の3県に跨り、ここ下田代十字路は福島県に属します。更に、尾瀬の地は、1951年(昭和26年)の東京電力設立時に前身の会社から引き継ぎ、東電は尾瀬の所有権と水利権を所有します。そういった背景からか、結果として尾瀬への入山者が大幅に減少しているとの事。
 そのお陰で3人は個室でもお独り8400円の宿泊費で済みました。当初は16日(土)に宿泊予定でしたから、一日前倒しの宿泊日変更は大正解でした。
 今回のレポートは”尾瀬盛夏 写真展”にしました。


山の鼻周辺に一周1Kmほどの”自然観察コース”が出来ていました。その事を初めて知りましたから、ここをのんびりと一周。背後は至仏山。









そのコースにはヒオウギアヤメ(?)かカキツバタ(?)の大群落が。今まで見た中で最大級です。










尾瀬ヶ原で。振り返り仰ぐ至仏山。












牛首付近でのニッコウキスゲの群落












第二長蔵小屋から観る満月












至仏山に沈みゆく満月。16日早朝撮影。












ワタスゲもこの頃の尾瀬を彩る高山植物のひとつ。












大江湿原付近でのニッコウキスゲの大群落。ここから沼田街道を遡れば沼山峠に至ります。その付近にあったニッコウキスゲの大群落は鹿の被害により絶滅の危機とか。







大江湿原でのニッコウクスゲと燧ケ岳。












長蔵小屋付近から見る燧ケ岳。













三平下へ到る途中で。尾瀬沼と燧ケ岳。






ペタンクアドバイザー養成講習会に参加

2011年07月15日 | 身辺雑記

 5月19日のブログに書きましたように、我が駒込富士前福寿会が文京区ペタンク大会Bブロックで優勝して以来、ペタンク競技への興味が湧いてきて、技術向上を目指す練習会にも参加して来ました。そこへ福寿会会長KOさんから、アドバイザー講習会に参加しないかとの話があり、少し迷いましたが参加を決意し、7月12日(火)に練馬区総合運動場まで出掛けてきました。

 ペタンクは1910年(明治43年)フランスのマルセイユ近くのラ・シオタという小さな町で生まれました。地上に、幅4m以上×長さ15m以上の長方形を作り、その中で金属のボール投げます。地上カーリングと言えばゲームの想像がつくでしょうか。
 両足が入るほどのサークルを描き、そこからまず目標球(ビュットと言う)を6m以上遠くに投げ、続いては、サークルからビュット近く目指して、金属のボールを投擲します。大会では、チーム3名が一人2個のボールを投擲して、合計6個のボールを投げます。相手チームも6個のボールを投げ入れ、ビュットに一番近いボールのあるチームがそのラウンド(メーヌと言う)の勝者となります。相手チームより、よりピュットに近いボールの数が、そのメーヌでの勝ちチームの得点となり、合計点が13得点に達したチームがゲームの勝利者となります。
 ペタンクの語源は、「両足をしっかりと地面につける」または「足を揃える」ことを意味するピエ・タンケ(Pieds Tanque)というプロヴァンス語に由来するそうで、だからは投球時に片足が地面から離れてはいけないルールになっています。
 ヨーロッパでは子どもから高齢者にまで親しまれるこの競技、日本では何故か高齢者向けのゲームと見られています。高齢者向けのゲームと思っていましたから、私自身高齢者なのにこのゲーム敬遠して来ましたが、優勝したことにより、面白味を知る様になり、このゲームの講習会参加を決意したのです。
 案内状が届くまでは、ペタンクの技術向上を目指しての講習会と思っていましたが、左にあらず。案内状には、ペタンクの精神やルールを学んでの地域での指導者を養成する目的とありました。

 既に梅雨明け宣言が出され、東京都は連日35度前後の高温。練馬区は都内の中でも一番高い気温36.6度を記録した日もあり、多分平均年齢70歳を超える参加者の熱中症が気になっていました。案の定、9時半~16時まで予定の講習会は講習内容を半減し、時間も午前中で終了にプログラム変更になっていました。当然の措置だったと思います。
 講義の部では、ルール集は渡されていましたが、その細部の話ではなく、総論として「楽しくゲームを」の精神面が強調され、実技の部ではボールの握り方と投げ方に指導の重点がおかれました。まだまだボールを思い通りの位置に投げられません。やはり練習につぐ練習が大事でしょう。しかし7月20日(水)の輪投げ大会での予選突破を目指し、今はこちらの練習に熱が入っています。

 


今日は「内視鏡の日」

2011年07月14日 | 身辺雑記

 今日7月14日(木)は714に因んで内視鏡の日。
 私はそれより一日早い昨日、内視鏡の検査を受け、「なんともありません」とのお墨付きを頂きました。この15年間は、毎年自ら進んで、ご近所の鈴木医院で検査を受けてきました。
 
 自分から、内視鏡の検査を受けるに到ったのは、あるショッキングな事実に出合ったからです。家人の友人で、バリュウムを飲む胃がんの定期検査を毎年受けながら、食道がんの発見が遅れ、11月に痛みから医者に相談したところ、既に手遅れの状態。その後僅か1ヶ月後、50歳代の若さで亡くなられた方がいました。そこでバリュウムを飲むより発見の精度が高そうな内視鏡検査を受けようと、鈴木医院を訪れました。
 鈴木先生曰く「内視鏡の方が発見率が高くなります。各種定期健診でも内視鏡検査を実施すれば良いと思いますが、費用の関係でそこへは踏み切っていないのが実情です」と。以来内視鏡検査を受けることにしています。早期に癌が発見されれば、身体にメスを入れることなく、内視鏡による手術が可能になるかも知れません。治癒への取り組み早いほど、精神的にも身体的にもより少ない負担での癌治療が可能と考えました。”早期発見、早期治療”です。
 しかし、初めは、いや現在もこの検査、兎も角いやです。喉と胃が過剰反応してしまいます。でもこの道のベテランの家人曰く「先生は内視鏡の検査が非常にお上手」と。私もその言葉を信じようとしています。検査時には、室内に心安らぐ音楽が流れ、多分薬剤師免許をお持ちの、先生の母上が、背中をさすってくれるという好状況の中で初めて、私の様な身体の痛みに弱過ぎるものは何とか内視鏡検査に耐えられているのです。
 友人のKさんのように、鼻から入れる内視鏡検査を受ける人が、次第に増えてきています。私もその方法を考えようと思いますが、今暫くは鈴木医院での口を通しての内視鏡検査を、毎年受け続けようと思っています。
 

 


月下、”美人”に再会

2011年07月12日 | 身辺雑記

 東北旅行の報告はまだ幾つかありますが、ひとまずは前回のブログで取りあえずの終わりにして・・・。


 ご近所の江岸寺そばに月下美人を大事に育ている家があります。福寿会会長のKOさんから、間もなく開花らしいとの話を聞いていました。先週の土曜日、ラジオ体操の帰りに様子を見に行くと、確かに4つの蕾は明日にも花開きそうな様子。夜に又訪れようと心掛けながら、土曜日の夜も日曜日夜もうっかり忘れてしまい、昨夜の夜9時に漸く見に行くと。(昨夜9時の状態)


 
 二つの蕾が開花進行中でした。多分、熟睡中の会長への連絡は断念して、同じ福寿会のKUさんには”少し開花”を電話連絡して再会。軽い散歩の後別れ、あと2時間後の完全開花を期待して、夜中11時に再度やってくると、ほぼ満開!丁度上弦後間もない月もこの美人を照らし始め、正に”月下美人”が出現しています。やはりカメラ携えてやってきたKUさんと、その一瞬に立ち会えたことの喜びを共有しました。



       (上空には月がコウコウと)










 昨年はこの様なチャンスはやって来ませんでしたから、一昨年の7月25日以来2年振りの再会です。純白の花ビラが夜目にくっきりと、鮮やかに輝きます。

 その7時間後の今朝6時、ラジオ体操に出向く前に撮影にやってくると、既に花はしおれています。”花の命は短くて”と言うよりも”短すぎる花の命”なのでした。多分開花していた時間は7時間余り。




 
 
 前回のブログで、サボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物であると書きました。一晩しか花を咲かせない点、それはニッコウキスゲとよく似ています。ニッコウキスゲの花は「昼に開き、一日でしぼんでしまう」とか。開く時間帯に昼と夜の違いはあれど、どちらもたった一日の”命”。めぐり合えた幸運を思います。そのニッコウキスゲを鑑賞しようと、このブログに登場のKOさんとKUさんを含めて3人で、この15
日(金)~16日(土)に掛けて尾瀬に出掛ける予定です。