マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『満天の桜』(劇団民藝公演)を観る

2012年12月20日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月19日(水)、三越劇場で民藝公演「満天の桜」を観た。主演は奈良岡朋子。共同代表として、共に民藝を支えてきた大滝秀治が今年10月2日、87歳で亡くなった。奈良岡も既に82歳、高齢となった名優の演技は出来るだけ観ておきたいとの思いから、公演連絡が来てすぐチケットを購入しておいた。(写真:公演パンフレットより)

 

 

 


 珍しく時代劇である。家康の養女満天(まて)姫は福島正則の養嗣子正之に嫁ぐが、一子直秀をもうけた後、お家は断絶し、正之は幽閉され獄死。満天姫は幼い頃から付き従ってきた侍女頭・松島(奈良岡朋子)を伴い、津軽藩二代目藩主・津軽信牧と再婚する。
 実子直秀は津軽藩家老・大道寺家の養子として育つが、自分こそ福島家の血を受けたものとして、幕府に福島家再興を願いでようとする。それは幕府に、津軽家断絶の口実を与えかねない言動。苦悩する満天姫と松島。そこへ家康のブレーンであった天海(伊藤孝雄)が訪ねきて、直秀の暴挙を阻止する為に、松島にトリカブトの毒薬を与え、直秀を亡きものにせよと迫る。
 松島は苦悩の後残酷な決断をする。この心理的葛藤を表現する奈良岡の演技が見事。松島の決意を察知した満天姫は、実子を守る為に必死で、止めるように松島に迫るが、逆にそうすることが姫の為にも、津軽家の為にもなると説得されてしまう。子殺しを黙認するのである。
 長年仕えて来た姫が一時的に苦しんでも、長い目で見れば、それが一番姫の為と思えばこその松島の行動。奈良岡朋子には、こういった芯の強い、潔い女性が良く似合う。

 舞台は離れにある茶室が中心。そこからは見事な一本の見事な桜の木が見渡せるという趣向で、直秀が毒入りの茶を飲む寸前には花弁が舞い始め、頃は桜満開の時と知れる。姫亡き後、松島は大変な思いをして植樹作業に励み、弘前城内に一本だけ見事な桜を咲かせる。フィクションではあるが、その桜が現在の”弘前城の桜”へ続くと暗示されていた。因みに、弘前市がこの劇を後援。
 私は観なかったが、「カミサマの恋」で津軽からさわやかな笑いと涙をもたらした畑澤聖悟が、民藝と奈良岡の為に書き下ろした第2作。奈良岡が舞台を引き締めていた。


「中国 王朝の至宝展」を観る

2012年12月18日 | 医療

 日中国交正常化40周年を記念して「中国 王朝の至宝展」が東京国立博物館で開かれている。しかしお祝いムードは全くない。尖閣諸島問題で冷え切った日中関係の帰結するところは、入場の際の荷物検査であった。
 12月12日(水)、東京国立博物館に出掛けると、そこで待っていたのは荷物検査。ここには、空港や裁判所の様な探知機は無いので、バックを開けての内部検査。不逞の輩の暴挙を恐れての処置でやむを得ないと理解しながらもやや不愉快。

 しかし展示内容は国宝級の「一級文物」が約60%というスケールの大きさで、貴重な文物が168件も展示されるという素晴らしいものであった。展示は、歴代の中国王朝の成立順に次の六章から構成されていた。
 第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
 第二章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
 第三章
 初めての統一王朝 秦vs漢
 第四章 南北の拮抗 北朝vs南朝
 第五章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
 第六章 近世の胎動 遼vs宋

 6000年ともいわれる歴史を持つ中国のあまたの王朝。その歴代王朝の都ないし中心地域に焦点を当て、それぞれの地域の特色ある文物を対比するという手法を取っていたが、スケールが大きすぎて、残念ながら、私にはその歴史的・文化的意味をよく理解出来ない点が多々。

 
この膨大な展示物のなかで特に印象に残ったのは3つ。その一つが跪射俑(きしゃよう)。秦の始皇帝は、生前から自らが入る巨大な陵墓を造営した。その遺産の一つが6000体以上もの兵士や馬の人形が埋められていた兵馬俑坑。跪射俑は兵馬俑のひとつ。そこに人がいるかの様な実にリアルな兵士だ。




 金剛神坐像の印象も強烈だ。長安城の北東区域に建立された安国寺の跡から出土した大理石製の仏像。唐時代盛期の密教系仏像の貴重な遺例だそうで、躍動的で華やかな雰囲気を持つ仏像さま。






 一番驚いたのが2001年に発見され、大きな話題をよんだ阿育王塔。南京市の長干寺の地下から近年出土した、新発見の金の仏塔で、高さが1mを超えるとか。この様なものが、漸く今世紀に入って発展される、中国と言う国の、底の深さと長き歴史を思い知らされる。(写真:阿育王塔)

 日中の関係を考えるとき、暫くはこの様な規模の展示が行われるとは考えらない。今回の機会を逃したら阿育王塔に触れる機会は無かっただろうと思え、ここに足を運んのはラッキー、と思ったのでした。

 

 


「杉浦裁判」を傍聴

2012年12月16日 | 学校

 杉浦孝雄さん、62歳か63歳。元都高教書記長。都立杉並工業で定年退職を迎え、そのまま「再任用フルタイム」職員と勤務していたが、今年1月、校長から突然「更新不合格」の通知を受けた。その後一ヶ月、職場を挙げての抗議・撤回活動があったが、「更新不合格」は撤回されないまま、彼は杉並工業を去ることとなり、この7月、東京地裁に損害賠償の提訴を行った。
 この裁判への支援を訴えるビラが郵送されてきて、冒頭に上記内容が書かれていて驚いた。

 彼とは不思議な縁で繋がっていた。初対面は40年ほど前。私達が仲人をした結婚式の司会が彼で、我が家で”式実行委員会”なるものが開かれた。20数年前の「日の丸 向丘人事委員会」審理で、彼には組織の法制部長として、作戦会議・審理などでお世話になった。1998年に鷺宮高校では同僚となり、教務部で一緒に働き、職員劇にも共に出演し、職場の同僚も交え数献傾けた。
 彼は組合の役員選挙で敗れると、職場異動となり、多くの職場を転勤したが、不慣れな学校でも、皆が嫌がる生徒部の仕事を率先して引き受け、熱心に働く誠実な人柄が高く評価され、人気が高い。

 そんな縁や恩義があり、これは是非裁判傍聴をと思い立ち、10月29日(月)と12月10日(月)の二度ほど東京地裁に出掛けた。今は準備書面に関するやり取りで、傍聴者20名程度の裁判は5分程度で終了した。その書面を熟読すると、校長や教育庁への怒りを禁じえなくなる。
 例えば、再任用更新の場合には、校長による面接が必ず実施されなければならないが、これが実施なれなかった手続上のミス。「不合格」の理由として挙げた3点の内容が全て事実誤認であった等々。教育庁側から出されるべき書類が提出されないので、情報開示を求め、漸く出された、校長による再任用評定票はA~Dのうち、何れもB。総合評定も「採用してもよい」。これで何故採用不合格なのだと言う内容。「気に食わないやつは飛ばす」との校長の恣意的行動は明らかである。

 裁判後開かれた支援集会で弁護士が裁判の論点を解説「採用権が使用者側にある点は争わないが、その職権に関して、明らかな濫用があったことを、逐一事実を挙げて明らかにしていく」との事。
 11月30日の朝日新聞には「不当に低い評価をして再雇用しないのは合理的判断を欠く、とする最高裁判断が下された」との記事も載っていた。

 次回も準備書面を巡ってのやり取りになるらしいが、次々回からは、いよいよ証人喚問が始まるようで、野次馬根性もあり、杉並工業高校々長の証人喚問は是非傍聴したいと思う。

 
 


広重「江戸百景」が復活。150年ぶり『月の松』

2012年12月13日 | 東京散歩

 東京新聞が面白い。信濃毎日が長野県の情報を豊富に掲載すると同じように、東京新聞はその名の通り、東京版地方紙でもある訳で、例えば「首都圏名水紀行」などが連載されるなど、東京関連の情報が多彩である。
 その東京新聞12月12日(水)朝刊に「150年ぶり 月の松」と題する以下の一文(要約)が載った。
 『浮世絵師、歌川広重は上野の、月の松をよぽど気にいったのか、これを題材に構図を変えて、春と秋の景色二枚を書き残している、彼の代表作の一つ「名所江戸百景」に描かれた、その「月の松」が約150年ぶりに復活した。月の松は、輪のように丸めた松の枝を満月に見立てて、そこから見える不忍池の風情を楽しむのが江戸っ子の粋だった。
 寛永寺の住職で、清水観音堂を管理する大多喜義慶さんは、5年前、広重の浮世絵を見て月の松の復元を思いつき、造園業者に依頼。ハプニングもあったが、このほど漸く完成し、12月17日(月)午前10時45分から除幕式が行われる』(写真:「名所江戸百景」に登場する月の松と不忍池)

 (「江戸百景」上野清水堂不忍ノ池)

 偶然にも、12日に東京国立博物館へ「中国王朝の至宝」展を観に行く予定の私達は、都バスを「池端一丁目」で下車し、不忍池を半周して、清水観音堂へと急いだ。ひょっとして除幕式以前に月の松を鑑賞出来るのではとの魂胆。やや急な階段を上ると、養生された、それらしき松が見えて来た。階段側から見た後、観音堂正面に立って、松を眺めた。目の前に見える。残念ながら輪の中に不忍池は現れない。今は、清水寺を模したこのお堂から、琵琶湖に見立てた不忍池は見えない。松の枝を輪に丸めるという人工的な作業ではあるが、原画と見比べて見ると、かなり似た風情に造られていた。青空と名残の紅葉を背景に、すっくと建った月の松のお披露目はもう間近である。(写真:観音堂下から見上げる月の松)



       (月の松の輪の中に紅葉)

           (清水観音堂)

 
 


十二月大歌舞伎を観る

2012年12月12日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月2日(日)、新橋演舞場へ十二月大歌舞伎夜の部を観に出掛けた。今月の夜の部の出し物は
 一・籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいさめ)
 二・奴道成寺
 
 「籠釣瓶」の筋は世にありがちで、分かりやすい。上州佐野の絹商人・佐野次郎佐衛門(尾上菊五郎)は、下男治六(尾上松録)と桜咲き誇る吉原見物にやって来て、花魁八ツ橋(尾上菊之助)一行に出会い、八ツ橋ににっこり微笑み掛けられ、身も心を奪われてしまう。それからは、お大尽の次郎佐衛門、金にまかせて、八ツ橋の元へ通い詰めるようになり、身請けする寸前までになります。
 これを知らされた八ツ橋の間夫繁山栄之丞(坂東三津五郎)は、八ツ橋に「俺と別れるか」とばかりに次郎佐衛門との縁切りを迫ります。惚れた栄之丞と別れられない八ツ橋は、満座の中で 次郎佐衛門に愛想づかしをします。うちひしがれて佐野に戻った次郎佐衛門は、四ヶ月後再び吉原に現れ、凶行に及ぶのです。(写真:貼りだされたポスター)

 見せ場が幾つも用意されていました。吉原仲之町の華やかな世界とそこを闊歩する花魁一行。八ツ橋を一目見て身も心も奪われて、金縛りとなってしまう次郎佐衛門。彼との縁切りを迫られ苦悩する八ツ橋。そして、再び現れた吉原で、上客として遇され、八ツ橋と一献交わす穏やかな次郎佐衛門が、突然刃を抜く瞬間。心理劇的要素がふんだんに盛り込まれています。
 前回この芝居を観た時は前から2番目の席で、次郎佐衛門演じる吉右衛門の表情の変化がはっきりと見られました。今回は座席は劇場真ん中あたりでの観劇で、細かい表情の変化までは読み取れません。その辺を鑑賞する為に家人は小型双眼鏡を用意していました。今後は私もこれに倣おうと思ったものでした。

 「吉原百人斬り」をもとに三世河竹新七が脚色した世話物。今回は斬られるのは八ツ橋一人。その倒れゆく姿が見事。荒川静香のイナバウアーを更に進化させた様に背面に反り、弓なりになって肩から直接畳に落ちていきました。菊之助の、母親譲りの美麗とこの演技、私にはここが一番の見どころでした。(写真:八ツ橋演じる菊之助)

 借りたイヤホンガイドが幕間に多くの事を教えてくれます。花街のしきたり、花魁と枕を共にするまでの長い道のり。演目の「籠釣瓶」とは、抜けば人の血を求めずにはいられない妖刀である事等々。