12月8日(土)、40年前の元生徒さん2人と、根津にある串揚げの店「はん亭」に出掛けた。定時制高校3・4年の時に担任をした、トシコさんとヨツエちゃんの二人である。二人とも高校時代には姓が同じだったので、名を呼んで二人を区別していた。何故”さん”と”ちゃん”に分かれたは不明だが、今も変わらずに名を呼んでいる。かっては一緒に八ヶ岳に登った教え子も間もなく還暦。インターネットのお陰で、長い空白の年月を経て7年ほど前から繋がりが復活。今は月2回ほど、家人の主催する「源氏」と「平家」の読み合わせに参加している。会の終了後、私も含め3人の都合が付けば、私が案内人として、やねせん界隈を散策することがある。今回は、天祖神社⇒文林中学⇒旧安田邸⇒観潮楼跡⇒根津神社と辿って「はん亭」へ。食後旧安田楠雄邸に廻った。はん亭を訪れるのは多分20数年振り。 はん亭は食事内容よりも、建物で世に知られる。明治時代に建てられた総けやき木造三階建の日本家屋は非常に珍しく、関東大震災にも耐え、現在は有形文化財に指定され、根津の街の下町風情を醸し出している。蔵を有効利用しての室内での串揚げを楽しめる趣向で、普通一人前5000円からだが、ランチは3150円。私達は当然ランチ。まず、お通しと一緒にキャベツ・キュウリ・人参などの野菜の盛り合わせが出され、次いで肉と魚(名前は聞いたのだが失念)の串揚げの揚げたてが次々に8本。次いで食事となり、最後にデザート。タレは塩または和えた味噌。揚げものには味噌ダレが絶妙に合っていた。(写真:建物外観)
(2階座布団席)
(1階椅子席)
話は二人の故郷に及んだ。トシコさんは、新潟は城下町村上の生まれ。高校一年生の時に家族と共にこちらに引越して来て、大泉高校定時制に転入学。ヨツエちゃんは、中学卒業と同時に、青森から”金の卵”として東京に。大企業の勤務の傍ら、提携の定時制高校へ。しかし3年生の初めに、そこから”脱出”し大泉高校定時制へ。二人とも、粘り強い頑張り屋で、今なお働き続けている。トシコさんは72歳まで働くこと可能で、ヨツエちゃんは”花嫁の母”も経験した。地方から東京にやってきて、現在の指定席を確保するには並大抵の努力ではなかったろうと、私は推測するのだが、二人からその間の愚痴や本音を聞いた事はない。
日本海の昏い海を見て育ったのも二人の共通点。村上にも小泊にも行って見たいと思うが、残された時間には限りがある。果たして行きつけるだろうか。
”ようこそ、語りと和楽 旧安田楠雄邸公演へ
芥川龍之介 奉教人の死”
と書かれたビラを目にした。旧安田邸は我が家から徒歩20分の至近距離にあり、大正8(1919)年に建設された近代和風建築として名高い建物だが、門を潜ったことはなかった。何かのイベントが開催された折りに出掛けようと考えていた矢先、芥川作品の語りと和楽演奏開催を知り、早速申し込み、12月1日(土)、旧安田邸に家人と出掛けた。
申し込みをした以降に出立した用事の為、ここを訪れたのが開演19時の15分前。建物内部は見学可能だが、庭園を鑑賞する時間帯ではなかった。
受付を済ませ、長い廊下を進むと、かなり広い客間があり、そこが会場だった。椅子席が30、座布団席も30席ほど用意されていて、定刻19時にはほぼ満席となり、津軽三味線の演奏で幕が開けた。
出し物は①津軽三味線 小池純一郎
②琴演奏 山田雅生
③「奉教人の死」 語りと琴演奏 北原久仁香と山田雅生 中でも「奉教人の死」の語りには、人をその世界に誘う強力な吸引力があった。芥川龍之介生誕120年に寄せて選ばれたこの短編作品の初めから終わりまでが語られた。後で知ることであったが、語りの北原さんは、声優にして、ラジオ『むさしのFM』では情報ナレーターとして天気・交通情報・ニュースなどを担当する方。この様な語りの会に数多く出演ているらしい。
時に静かな、時に迫力ある凛とした声が響く。読みに緩急が入り、人物によって発声を変える。謂わば、女性講談師の語りと言ったら良いのだろうか、そう言っては本質を見失うような気もするが・・・。所によっては感情移入たっぷりに語られる、異色の世界。(写真は左北原、右山田) 大正建築の建物の薄明かりの中で、大正時代の作品が、大正時代の衣装を纏った女性によって語られ、時折筝曲の音が流れる訳で、大正ロマネスクたっぷりのこの空間を皆一心に眺め、見目麗しき演者の語りに耳を傾けたのであった。
この短編読んでいなかった。ところどころ意味が通じない言葉が語られるが、実に明瞭な、澄んだ声は聞きやすく、一遍の物語がすとんと胸に落ちた。
この3人の組み合せで、2月には北村薫「恋愛小説」が、4月には竹ノ塚「昭和の家」で森鴎外「高瀬舟」が語られるそうで、今度は作品を読み終えてから語りを聴いてみたいと思った。”おっかけ”をしたい気分である。(最後に登場した芥川)
(旧安田邸玄関) (長い廊下)
(会場の和室) (洋間)
12月5日(水)は12月にしては比較的暖かく、朝は快晴のなか、富士山がくっきり遠望出来ました。午前中に出掛けた東大では黄葉が、午後の六義園では紅葉が、見頃で、慌ててシャッターを切りました。11月29日早朝のFull Moon と合わせて、暦の上では既に冬ですが、深まる秋の様子です。
(1)富士山
(2)東大にて
(正面は安田講堂)
(工学部前)
(3)六義園にて
(4)11月28日(水)は満月。その満月が29日(木)の早朝、北西方面へ沈む直前
高熱原因は「マイコプラズマ肺炎」では無かったらしい。しかしこの間、仕事や遊びで4つのドタキャンをしてしまった。福寿会健脚3人組での筑波山登山、都高教退職者会々員のインタビュー、それと中学と高校での勤務。その中学勤務は11月29日(木)に休むと、2回連続の欠勤となるので、少し無理をした。その後、昨日も出勤に及ぶと、何と数学科の先生が風邪でお休みとの事。
先生がお休みだからと言って自習にはしないで、補教と称して、その時間に空き時間の先生が替わりにその教室に出向き、更に用意された課題をやらせるシステムとなっている。昨日、出勤すると、副校長から「補教の手伝いをして下さい」との話があった。要するに補教の先生と一緒に教室に行き、生徒が分からない問題や質問に答えてあげて欲しいとの依頼。
前にも一度あった事だが、私の出番の多いこの補助の仕事は、何時もより張り切る。何時もだと担当の先生の説明が20分~30分あり、その後、それに該当する問題が出されて初めて、私の出番がやって来る事が多い。昨日の様に、プリントを完成して提出しなければならないと、生徒は問題に取り組むや否や、いきなり質問をする事もある。質問が途切れると、机間巡視(きかんじゅんし 業界用語です)をして、取り組んでいる問題を、上から覗いて、今後数学を学ぶ上での致命的間違い(展開公式の覚え間違いとか)をしている事に気が付くこともある。その様な時は要らぬお節介をやく事にしている。
普段の受身の姿勢より、昨日は積極的にこちらから動いた。初めて行くクラスなので、初対面ではあったが、数学が苦手と自称する生徒からは執拗に質問を受けた。自惚れて書けば、波長が合ったのだろう。教える事が好きだった身に、そのことを思い出させてくれる一瞬だった。私の名前は始業時に紹介されたのに、特に気にも留めなかったのか、こんな時に名前を聞かれたりする。それなりの支援が出来た事が嬉しいし、何かに感謝したいような気持で、昨日は中学を後にした。
”伊勢は日本人の心のふるさと”と言われますが、その一員である私に故郷と感じられるのは、例えば映像で見る、新潟県山古志村などの山里の風景で、見たとたん何か懐かしいものを感じます。今回伊勢神宮へ足を運んだのは、ここが一度も行っていない場所であると同時に、遥か遠い時代から受け継がれている伝統を今に伝えている”式年遷宮”に興味を持ったからです。
伊勢の神宮には、内宮(ないぐう)と呼ばれる皇大神宮と外宮(げくう)と呼ばれる豊受大神宮の二つの正宮の他に、十四の別宮と摂社・末社など全部で百二十五のお社があり、その全てを含めて単に「神社」(正式名称)と呼び、全国の神社のほとんどを包括する本宗とのこと。・・・俄か仕込の知識です。 21日(水)に、近鉄五十鈴川駅で下車し、バス移動で内宮前下車。午前中はおはらい町通りを散策し、おかげ横丁をぶらつきました(別途レポート)。午後に内宮にお参りするに当たって、「お伊勢さん観光案内人」に参加することにしました。「ご朱印巡りきっぷ」に付属したサービス(別途500円が必要)です。出発開始の時間13時半になっても、私達以外に参加者は現れず、結果論ですが、案内人の方は私達の専属ガイドとなったのでした。彼女は案内人協会の広野さんと言う方で、知識が豊富で、人柄の良い、大変素晴らしいガイドさんでした。実に広い内宮は、広野さんの案内なしでは、効率よく回れなかったと思います。(写真:宇治橋)
(内宮を流れる五十鈴川の紅葉)
(内宮神楽殿) 宇治橋を渡り、鳥居を潜り、別宮や神楽殿に参拝しましたが、特に興味を持って参拝をし、観察もしたのが「御正宮」です。正宮だけではありませんが、神社に式年遷宮と言う制度があります。20年に一度お宮を新しくして、調度品などを新調する制度で、千三百年前から、一時の中断はあるものの、連綿と続けられた来ました。来年がその式年遷宮の年に当たり、現建物と隣接する土地に、現在進行形で正宮などの建築が進められています。テントが被せられていて直接見ることは出来ませんが、完成の暁にはその晴れ姿を観たいなとの思いに駆られる雰囲気です。
ガイド広野さんの話ではこの式年遷宮は①建築技術の継承 ②遷宮に伴う資材の流れが、正宮⇒別宮⇒鳥居と巡り、エコになっている、との事。なるほどなと思う話でした。(写真:パンフレットに見る正宮)
(五十鈴川に合流するみもすそ川)
(別宮) 22日(木)には、近鉄伊勢市駅下車、徒歩10分で外宮へ。「まがたま池」が見渡せる「せんぐう館」が特に楽しい場所でした。外宮正殿が原寸大で再現され、その建築過程が見られるビデオが放映されていました。前日はテントで覆われ見れなかった正殿が、建築物として、その素顔も見せてくれていたのでした。(写真:外宮一の鳥居)
(せんぐう館)
(外宮の別宮の一つ)
午後には近鉄線やJR線と反対側にある、江戸時代に栄えた河崎の町を訪ねた後、帰京の途につきました。