マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『旧中川』を歩く

2013年05月10日 | 江戸の川・東京の川

 1590年の徳川家康の江戸入府以来400有余年、関東平野では、荒川の西遷・利根川東遷・荒川放水路や中川放水路の開削など幾多の河川の付替えや大規模土木工事が行われてきた。何とかその変遷を年の経過に従って理解しようと、例えば鈴木理生「江戸・東京の川と水辺の事典」などを読んだが、川の名称が時代によってその指し示すヶ所が変化したりで、良く理解出来ないところが多々あった。”書を捨てよ、町へ出よう”ではないが、実際に川辺を歩きながら、関東平野の、主として川の変遷の歴史を理解したいと考えていた。

 5月10日(金)の昨日、旧中川の下流部分を歩いて来た。
 旧中川は1924年(大正13年)に荒川放水路(現在の荒川。以下荒川)に注水が開始される以前は中川と呼ばれ、埼玉平野から流れ来て東京湾に注いでいた。しかし荒川の開削により、川は分断された(=ぶった斬られた)。上流部分は、荒川と平行に、ほど同時期に開削された現中川に流込み、東京湾に注いでいるが、下流部分は木下川水門によって流れを遮られた。その下流は再び荒川と交わるのだが、こちらも荒川ロックゲートによって締め切られている。
 廻りくどい表現になlてしまったが、要するに、上流と下流で荒川と繋がっているが、平成の今では二つの水門によって流れを断たれた、”水流の孤島”で、流れのない川。鈴木理生は「江戸の川・東京の川」の中で”たんなる水たまりになった”と嘆いている。
 しかし、この川は広重の浮世絵「名所江戸百景」などを見ても分かるとおり、緑と詩情豊かな岸辺を持ち、昭和まで人気の観光スポットだったらしい。しかし1945年の東京大空襲で3000人もの方がこの川中で焼死し、それを供養しての灯篭流しの8月15日に限って両水門は開かれ、水が流れる、という事も出掛ける直前に知った。

 都営新宿線東大島駅で下車。神保町方面から来て始めて地上に顔を出して直後の停車駅が東大島で、この駅は旧中川の真上に作られている。ここを起点としての川旅。初めて知る意外な事実に数々に出会った。次回ブログに。








 左の地図で、赤い曲線が旧中川。太い水色の円弧が荒川。上が上流。下流の左の下部で左に伸びる直線が小名木川。


 
 
 


『ロト7』を考える

2013年05月09日 | 身辺雑記

 3月半ば頃、ラジオ体操が始まる前の世間話で、澤さんが「今度、”ロト6”より賞金が高く、最高8億円の籤が登場するようですよ」と語った。ネットで調べると、「ロト7」の事らしいと想像がついた。「ロト6」は1~43までの43個の数字の中から、自分の好きな数字6個を選んでおき、その6個全てが当選数字6個とピッタリ一致すると賞金1億円が手に入る人気の籤。「ロト7」の原理はほぼ「ロト6」と同じだが、37個の中から7個の数字を選ぶこととなる。1枚の購入金額が300円となったが、謳い文句は「最高8億円」である。

 ”ロト6”に関して、以前に澤さんから「ロト6を全部買うと幾ら掛るのですか」と聞かれた時に、計算をして、翌日1枚のプリントにしてお渡しした。1.219.290,800円、約12億円である。
 ロト7でも調べてみると、異なる買い方は
 377=(37×36×35×34×33×32×31)÷(7×6×5×4×3×2×1)=10,295,
472通りあるので、現実にはあり得ないが、これらを全て購入するとなると 10,295,472×300(円)=3,088,641,600円、要するに約30億円ものお金が掛る。
 2等以下は”ボーナス数字”という数字が登場してきて、やや複雑な計算式となるので、ブログ上は結果だけ記しておくと、1等も含めて当選本数と当選賞金(理論値)は以下の通り。
 1等  1本        4億円
 2等 14本   約1000万円
 3等 196本    100万円
 4等 9,135本  12500円
 5等 142,100本 2000円
 6等 242,550本 1000円
 上記の当選金額を合計すると、1,376、937、500
円となり、約14億円弱。30億円使ってもこの金額。確率論でいうところの期待値は300円に対して約134円。夢の無いことを書けば、ロト7を1本買うごとに、166円位損をする勘定。そんなこと計算しないでも分かっている訳だが、敢えて金額を計算してみた。
 でも人は、いや私は、夢を見ようと、第1回の発売4月5日(金)から、毎週1本だけ購入している。最小金額の投入で夢だけは見ようという魂胆。因みに1等は第1回に当選者が出たが、第2回~第5回まで当選者はなく、キャリーオーバーが続いている。
 1等の当選が無いと4億円は次回にキャリオバーとなり、次回の1等の当選賞金は”詠い文句”通り8億円となる。

 


 


すみだ珈琲

2013年05月07日 | お気に入りの店

 本当は今日まで蓼科にいるはずだった。5月2日には安房トンネルを抜けて飛騨古川の湯宿に宿泊するはずだった。それが今自宅でパソコンに向かっている。4月26日、親指に包帯が巻かれた日、お医者さんから「当面風呂ダメ。車の運転、ましてダメ」と宣告された。今回の旅行は、私の車運転が必須だった。已む無く、この連休は、家人と都内を散策する事に決めた。
 快晴の5月3日は 浅草⇒亀戸天神⇒大平界隈⇒錦糸町。5日が「東京駅ステーションギャラリー」の木村荘八展。昨日の6日が本郷西片の、国指定有形文化財の建物巡り


 3日、浅草はやはり人・人で賑わっていた。新仲見世「薬研掘」で”激大辛”の唐辛子を購入し、雷門バス停から東大島行きの都バスで亀戸天神前下車。ここも人で賑わっていたが、花は盛りをとうに過ぎていて、黄色い藤のみ鮮やかだった。








      (散歩途中、天神橋で横十間川を越える)


 蔵前通りを大平方面に戻る道すがら、こじんまりした、コーヒー店を見かけた。貼り紙を見ると「連休中は日本橋三越の催しで出店の為、ここは休業。しかし2日・3日は営業」旨が書かれていて、丁度疲れ始めていたこともあり、入店する事に決めた。戸を開けると、感じの良い女店員さんが「今は満席です。どの位お待ち頂ければ席が空くかわかりません」との事。迷ったが待つことにした。彼女の言はほぼ正確で、外でかなり待たされ、30分くらいで漸く席に着けた。(すみだ珈琲入口)







 入って店内を見渡すと、テーブル席が2つとカウンター席が4つ。若いカップルが話に夢中で、長時間待った理由を納得。家人は珈琲「エチオピア イルガチェフェ」とモカチーズケーキを、私は「すみだブレンド 深いり」とチーズケーキを注文した。一杯ずづ丁寧に淹れるからか、かなり待って江戸切子のカップに入ったコーヒーが漸く到着。カップとコーヒーの組み合わせも見た目に綺麗だが、一口飲んでその美味さに驚いた。「エピオピア」の方も御相伴に預ると、フルーティな香りがして甘味が感じられる。モカは酸味が強いと思っていたが、酸味は甘味に微かに副えられた程度に軽い。コーヒーの原産地と言われるエピオピアの豆は希少価値ありで、コーヒー党の私は「エチオピア イルガチェフェ」を追加注文した。どれも一杯400円はお安い(追加は200円)と思った。
 誠実そうな店主と女店員さんの醸しだす温かな雰囲気と隠れ家的佇まいが気に入った。帰宅してネット記事を読むと、固定客やファンの絶賛の声の数々。自家焙煎にしたのは最近の事らしいが、良いお店に巡り合えた事が嬉しかった。
  

 錦糸町に抜けて、数年振りに、駅前の「魚寅鮨」に寄った。三崎港直送のマグロぶつ200gと、たこぶつ100gで〆て800円というお安さ。散歩の楽しさを味わえた一日。


『親心が開けた進学の闔』を読んで

2013年05月05日 | 身辺雑記

 東京新聞が1面で、「救われた人生」と題して、憲法が保障する人権についの特集を連載している。5月4日は「親心が開けた進学の闔」との見出しで、娘の為に掛けた学資保険の満期保険金46万円が「収入」と認定され、生活保護費の支給が半額にされた中嶋善治さん(生活保護受給者)を記事にしている。福岡地裁に提訴後、裁判は最高裁まで争われ、最終的に原告側が勝利。本質的に、憲法25条の保障する「生存権」が侵害されたかを問う裁判だった。

 これを読んで、私が感じた事を記しておきたい。
 1961年12月、定時制高校4年生だった私は、3ヵ月後に迫った大学受験に備える為め、それまで4年9ヶ月勤めていた「日本光学」を退社した。以後1967年3月まで続く、アルバイト代以外無収入の時代の始りだった。国立大学受験に失敗し、4月から「東京ガス」の臨時職員として6ヵ月間勤務。貯めたお金で10月から予備校通い。併せて「職業安定所」(現ハローワーク)に失業保険の申請をしておいた。しかし
受給直前に職業紹介の手紙が来た。
 これには弱った。正直に予備校の事を告げると、係員の表情が変わった。受給資格の”働く意思と能力”の意思を欠いていたからだ。”ダメだ”と言われ、相当落ち込んだ私を見て、何故か彼は所長の所へ相談に行き、私は所長室へ回された。所長から「本来は受給は出来ないのだが・・・」と言われ本当に嬉しかった。以後勤務紹介は皆無で、受験勉強に専念。辛うじて大学に合格した。”失業保険が開けた進学の闔”だ。
 大学進学後は月12000円の奨学資金が救いだった。母や妹の収入が頼りの綱で、そのお蔭もあって、何とか大学を卒業し、教員として入都した私は、4月、5年振りに給料袋を手にした。職業訓練所の話など今ならあり得ない。時代の空気が後押ししてくれた幸運としか思えない。教育を受ける機会を実質的に保障してくれた、失業保険と奨学資金。
 
 今憲法96条が問われている。この条文を改定する事によって、各条文改定のハードルを低くしようとの安倍内閣の狙いだ。現日本の憲法は、太平洋戦争が諸外国や自国民に多大の苦しみをもたらしたとの反省の下、第9条で武力放棄を宣言した。又、人権を時の権力者の恣意から守るため、条文の一つひとつを「2/3以上の両議員の賛成」が無ければ、提起出来ないようにした。各条文毎に「2/3以上の賛成で」発議が可能、それが硬性憲法たる日本憲法の本質だ。
 「ゲリマンダー」とは、時の政権が自党に有利な様に選挙制度を改悪すること。法手続き上可能に見えるこの方法論を、世界は歴史の教訓から、民主主義の本質を侵すものとして排除してきた。96条改定手続きの本質はゲりマンダーと同じ手法に思える。
 私は憲法96条改定に反対である。と同時に憲法96条を改定することによってなされようとする一連の改憲手続きに大反対である。


『神州天馬侠』を観る

2013年05月02日 | 映画・美術・芝居・落語

 4月23日(火)、「神州天馬侠」を観に家人と明治座へ出掛けた。「天馬侠」と言うより、早乙女太一の舞踊ショーを観に出掛けたという方が正確かも知れない。

 例によって東京新聞販売店にチケットの申し込みをしておいたところ、マタマタ「厳正な抽選の結果、明治座が当たりました」とのコメントと共に、チケットが届けられた。喜んだのも束の間、よく読むとそれは引換券だった。指定された日に明治座に出掛け、希望の日のチケットと交換するシステムである。ふと迷ったが、早乙女太一の舞踊を一度は観ておきたかったし、明治座までは都営地下鉄乗り継ぎのみで行けるから、足代もかからないと判断し、4月上旬に引き換えに出掛けた。
 
 引き換えというシステムがどんなっものか、一度経験したかったので、開始30分前には明治座に到着すると、驚いた事に長蛇の列である。その列の最後尾の年配の女性に、ここに並ぶので良いか訪ねると、その方はこの道のベテランらしく、ここでOKとの返事。更には、今日は1時間待ちかなと親切に教えてくれた。
 その御婦人が上田出身と聞かされて、話し込んでしまった。無言館・柏屋旅館・上田電鉄別所線・上田城・池波正太郎など、私が知っていることを話題にすると、語るべき事が多々あるようで、私は7割位いが聞き役。小学校のクラス会は柏屋旅館などの利用が多いことも教えてくれた。結局1時間待ちで、退屈する事なく、希望のチケットをゲットしたが、「こんなに長く男性と話したのは何年振りかしら」の一言でさようなら。

 さて「天馬侠」。吉川英治原作で、織田勢に滅ばされた武田一族再興の物語。勝頼の一子「伊奈丸」を早乙女太一が演じる活劇大作。役者さん達は若く威勢の良い動きだが、語りが速すぎ、良く聞き取れない言い回しもある。しかし、細かいことは気にしないで、いわばチャンバラ活劇を楽しんだ。
 踊りが始まるまでに30分休憩が2回もある。館内には食事処が2・3ヶ所あり、新橋演舞場より、その面では充実している感じ。午後2時過ぎ、漸く太一君の踊りが始まった。
 彼は大衆演劇の若きスター。21歳の若さとは思えない妖艶な舞いである。背を充分に開けて、女性よりもお色気を感じさせる。1階のみは満員の客席。特に舞台近くに陣取った若き女性が盛り上がっていた。