[月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也]
かの芭蕉は月日を旅人に例えたが、このわたくしもどんどんと過ぎ去っていく月日を
考えるとき、同じ思いに駆られる。
毎日毎日新しい旅人が旅立って行く。「あんたどこ行くの?」と追いかけて
いるうちにどんどんと日は経って今日はもう9日。
連休も終わり、今月の文章教室も無事終わって今日は肩の荷が下りたところ。
連休に娘家族が来て、読書好きな中3の孫と「おばあちゃんの本棚」を
整理していたら「赤毛のアン」が出てきた。もちろん訳者は村岡花子。
手にとって見ていたら裏表紙に高校名と私の名前が下手な字で書いてある。
今を去ること、ン十年前の私の愛読書だ。
娘に言ったら「私も読んだ」と言っていたので親子二代の愛読書になっていたと言う事になる。
孫に薦めたら、「ふーん」と言ったなりまだ読む気にはならないらしい。
パラパラとページを繰っていたら、いつしか読み進めていて、忘れていた内容が
よみがえってくる。
もう一度読んでみようと1959年刊行の細かい字でぎっしりと書かれた厚さ3センチの
本を持ってマイルームへと直行。
読んでいるとアンの世界へ引き込まれ、ワクワクとしてきて次はどうなるのだろうと
続きを読みたくなる。高校時代も今と同じような思いでこの本を読んでいたのだろうと思うと
面白いものは年齢に関係なく面白いのだ、と納得する。
若いときのように一気には読めないから、時間をかけて読みすすめたいと思う。
読み終わるまでは毎日、赤毛のアンが近くにいるようで続きを読む楽しみができる。
朝ドラの影響もあって、村岡花子も「この長い物語を、どう訳しようかしら」なんて思いながら
楽しんで訳したのではないかしらと思えてくる。
今また再び「赤毛のアン」に染まるとは思っていなかったが、
毎日染まっているのである。
かの芭蕉は月日を旅人に例えたが、このわたくしもどんどんと過ぎ去っていく月日を
考えるとき、同じ思いに駆られる。
毎日毎日新しい旅人が旅立って行く。「あんたどこ行くの?」と追いかけて
いるうちにどんどんと日は経って今日はもう9日。
連休も終わり、今月の文章教室も無事終わって今日は肩の荷が下りたところ。
連休に娘家族が来て、読書好きな中3の孫と「おばあちゃんの本棚」を
整理していたら「赤毛のアン」が出てきた。もちろん訳者は村岡花子。
手にとって見ていたら裏表紙に高校名と私の名前が下手な字で書いてある。
今を去ること、ン十年前の私の愛読書だ。
娘に言ったら「私も読んだ」と言っていたので親子二代の愛読書になっていたと言う事になる。
孫に薦めたら、「ふーん」と言ったなりまだ読む気にはならないらしい。
パラパラとページを繰っていたら、いつしか読み進めていて、忘れていた内容が
よみがえってくる。
もう一度読んでみようと1959年刊行の細かい字でぎっしりと書かれた厚さ3センチの
本を持ってマイルームへと直行。
読んでいるとアンの世界へ引き込まれ、ワクワクとしてきて次はどうなるのだろうと
続きを読みたくなる。高校時代も今と同じような思いでこの本を読んでいたのだろうと思うと
面白いものは年齢に関係なく面白いのだ、と納得する。
若いときのように一気には読めないから、時間をかけて読みすすめたいと思う。
読み終わるまでは毎日、赤毛のアンが近くにいるようで続きを読む楽しみができる。
朝ドラの影響もあって、村岡花子も「この長い物語を、どう訳しようかしら」なんて思いながら
楽しんで訳したのではないかしらと思えてくる。
今また再び「赤毛のアン」に染まるとは思っていなかったが、
毎日染まっているのである。