あのうの幸せトンボ

日々の何気ない出来ごとを、思いつくままに……。

ぶどう

2014-05-25 22:34:48 | 日記
わが家にわたしの「ぶどうの木」が1本立っている。

確か5.6年ほど前だったと思うが、友人から自宅で収穫した大粒の美味しいぶどうを戴いた。
スーパーで買うものだという認識しかなかった私は「自宅で収穫」と言うことに
いたく感動し「彼女の家で栽培できるんやったら…」とこの単純な頭脳で考え、
わが家でもぶどうを収穫したいと巨峰の木を1本購入。
自宅から歩いて3分の所へ植えたのであります。

何せ「ぶどう」に関してズブの素人。「ぶどうの栽培12か月の本」を片手に試行錯誤の連続。
ご主人さまの戸惑いを知ってか知らいでか、ぶどうの木は順調に生育し、マイ・ダーリンお手製の
棚に四方八方枝をのばし、この時期小さな実をたくさん付けています。
毎年、5月の摘粒と枝の誘引作業から6月の袋かけまでは一番忙しい時期で、
暇があればぶどう農家の奥様に変身して、ぶどう棚の下で上を見上げて作業しています。
困ったことに上を向く作業なので首が痛くなり「育てて収穫」の大変さを
毎年つくづくと思い知っています。

でも、(私の木)である以上「やらねばならぬ、最後まで」と言うことで毎日、寸暇を
惜しんで作業しており、昨日やっと一段落。後は袋かけまでにこぎつけました。
あと、もうひと作業で首痛から解放されると思うと、やれやれの心境。
スーパーで売られているぶどうを見ると、出荷している農家の方に「ご苦労さん」と
声をかけたい気持ちになります。

何事も経験してみないと分からないもの。
ひとつ賢くなったかなと、痛い首を撫でながら思っているところでございます。



カラオケ大会

2014-05-19 00:10:26 | 日記
恒例の、カラオケ教室講師主催のカラオケ大会も無事終わりました。

毎年、今の時期にカラオケ大会が催されます。
あちらこちらの教室の合同発表会と言ったところ。

一般の方も参加されますが、ほとんどが各教室の生徒。
生徒も高齢化で老人会の様。わたしなどここでは若者の部類。
でも、舞台に立つ姿はひかり物のオンパレード。
イヤリングにネックレスそれに指に余るような大きな指輪。
70歳を超えて両肩を出し「水森かおり」風衣装で舞台に立つ度胸。
内気なわたしめにはとても真似のできないことであります。

とにかく自己満足の世界で「幸せならいいじゃない」と言ったところです。
唄い終わった人と顔が合えば「上手やったなぁ」が合言葉。
間違ってもそれ以外の言葉を言ってはいけません。時間は戻らないのです。
結果はどうであれ、お互いが気持よく帰路につくためには必要不可欠。
ただ、親しい人には「本当に、上手やったなぁ」と「本当に」を前へつけるようにしています。

まぁ、今さら歌手デビューする訳でもなし、ボケ防止と若がえりの特効薬と思えば
「なあ、なあ」の世界でいいのです。
それでわたしめの今回の衣装は、そのまま結婚式に参列してもいいようなステキなワンピース。
友人から「もう着ないから…」と戴いたもので、持つべきものは「友」だと実感。
人様から「ステキやなぁ」と言われ、勝手に(本人も含めて)と言う意味にとり満足々々。

そんな訳で幸せな1日を過ごしたのであります。


赤毛のアン

2014-05-08 16:28:28 | 日記
[月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也]

かの芭蕉は月日を旅人に例えたが、このわたくしもどんどんと過ぎ去っていく月日を
考えるとき、同じ思いに駆られる。
毎日毎日新しい旅人が旅立って行く。「あんたどこ行くの?」と追いかけて
いるうちにどんどんと日は経って今日はもう9日。
連休も終わり、今月の文章教室も無事終わって今日は肩の荷が下りたところ。

連休に娘家族が来て、読書好きな中3の孫と「おばあちゃんの本棚」を
整理していたら「赤毛のアン」が出てきた。もちろん訳者は村岡花子。
手にとって見ていたら裏表紙に高校名と私の名前が下手な字で書いてある。
今を去ること、ン十年前の私の愛読書だ。
娘に言ったら「私も読んだ」と言っていたので親子二代の愛読書になっていたと言う事になる。
孫に薦めたら、「ふーん」と言ったなりまだ読む気にはならないらしい。
パラパラとページを繰っていたら、いつしか読み進めていて、忘れていた内容が
よみがえってくる。
もう一度読んでみようと1959年刊行の細かい字でぎっしりと書かれた厚さ3センチの
本を持ってマイルームへと直行。
読んでいるとアンの世界へ引き込まれ、ワクワクとしてきて次はどうなるのだろうと
続きを読みたくなる。高校時代も今と同じような思いでこの本を読んでいたのだろうと思うと
面白いものは年齢に関係なく面白いのだ、と納得する。
若いときのように一気には読めないから、時間をかけて読みすすめたいと思う。
読み終わるまでは毎日、赤毛のアンが近くにいるようで続きを読む楽しみができる。
朝ドラの影響もあって、村岡花子も「この長い物語を、どう訳しようかしら」なんて思いながら
楽しんで訳したのではないかしらと思えてくる。

今また再び「赤毛のアン」に染まるとは思っていなかったが、
毎日染まっているのである。