
いよいよ来る日が来てしまいました。最後の401M”あさぎり1号”はこの場所で撮影しようと決めていました。意外にもここでは同業の方の姿はなく、一人での撮影でした。撮影後、去り行く列車に手を振ると運転士が何度もタイフォンを鳴らしてくれたのをはっきり覚えています。 91,03,15 小田急渋沢-新松田 401M
20年前の3月は大好きな小田急3000系SE(SSE)車が定期運用離脱した月でした。小田急のロマンスカーは子供の頃からの憧れの存在でした。物心ついた頃に買い与えられた絵本にはカラフルなSE車が描かれていて、゛ピンポンパン!電車゛と呼んでいたと親から聞いた事があります。また、私が幼稚園時代に親戚が百合ヶ丘の公団団地に新婚所帯を構えていました。その親戚へ遊びに行くために母親に連れられ登戸から小田急に乗ると、必ず登戸では一本列車をやり過ごし、百合ヶ丘では降りてからしばらくはホームに居残り小田急電車を眺めていたと後に母親が話してくれました。その時の記憶は全くないものの゛ピンポンーパァーン!゛とオルゴールを鳴らしてロマンスカーが走り抜けて行った事は記憶の片隅にあります。
また、小学校就学記念に交通博物館で親が買ってくれた「電車のアルバム」の中では最新鋭電車としてSE車が紹介されたいたのが非常に鮮明に脳裏に焼きついていています。その影響を受けて後にカメラを手にしてから好んでSE車を撮影していました。またSE車は乗っても面白く、まだ”えのしま”運用が全列車SE車の頃にはヨドバシからの帰り道などは”えのしま”で藤沢に出で、藤沢からバスで帰った経験が何度もありました。
80年代後半からはもっぱら”あさぎり”の運用専門となってしまったSE車でしたが、御殿場線内の風光明媚な場所を走るので、何度か撮影するチャンスもありました。しかしこれもSE車をだけを撮りに行くのではなく、何かのついでの撮影でした。SE車を目的で撮影に行くようになったのはSE車の定期運用撤退が囁かれるようになった89年頃からでした。
自宅から距離的にはさほど遠い場所ではありませんが、とにかくアクセスとなる国道246号も、西湘バイパスも平日はもとより、休日も渋滞が甚だしい道路で苦痛以外の何物でもありませんでした。何度か通っている間に抜け道を覚え、その順路は今も活用されています。
さて最終日のSE車は午後の列車から2編成併結(俗称:重連)となりました。すっかり暗くなった御殿場駅をSE最終列車となる゛あさぎり6号゛は後にしました。私は暗くなってしまったので、その姿を見届けようと御殿場―足柄間の富士山バックとなる有名撮影地に立っていました。周囲が暗くなっただけにヘッドサインが鮮やかに浮かび上がっていたのが印象的でした。
大好きだったSE車は二度と走る事のない御殿場線を駆け抜けて行きました。

この場所も当時は246号のバイパスが完成しておらず、旧道を大型トラックがクネクネと走る修羅場の様なところでした。そのような道路の細い道を右折したりするのはかなり勇気のいる行動でした。この撮影は特にお気に入りでしたので何度、通ったかわかりません。それだけにこの撮影地も最終日に是非とも訪れたかったと記憶しています。 91,03,15 山北-谷峨 403M