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DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の5月No2 初夏の東海道線貨物列車


 ブルトレ牽引をPFに譲り、都落ちして沼津機関区に転属したEF65503号機です。ブルトレ牽引時代は下関運転区に配置され台検代走で東京にちょくちょく顔を出していた馴染みのカマです。この場所はパンが大きく伸びるので電機がとてもカッコよく見える場所です。   81,05,30 金谷―菊川 

 30年前の5月には身延線以外にも自家用車での出撃で印象に残る撮影があります。それが早朝の金谷―菊川です。現在では”カナキク”などと呼ばれていますが、当時はそんな呼び名もなく東海道線内の撮影地のひとつでした。実はこの区間は東海道線静岡―浜松間がまだ電化される前からの有名撮影地で、いわば憧れの撮影地でした。昼間は菊川から本数は少ないながらも撮影地近くまで路線バスもあり、何度か訪れた事もありました。また現地を9時前に通過する8101レの撮影では東海道新幹線”こだま”の一番列車に乗って静岡乗換えで金谷で降りれば、後はタクシーで現地に向かえば8101レの撮影が出来ました。
 しかしお目当ての大カーブ(下の写真)へは前泊でもしない限り辿り付く事は出来ませんでした。ただまったく手段がないわけではなく期日限定で秘策もありました。それは当時、南アルプス登山の旅客を対象にトップシーズンには金谷から大井川鉄道に早朝の臨時列車が運転され、その接続のために下り大垣夜行が金谷に臨停する日がありました。この日ならかなりの距離を歩かなくてはなりませんが、なんとかこの大カーブに早朝に到着する事が出来たはずです。しかし自分が撮りたい列車と下り大垣夜行の金谷臨停の日が重なる事はなく、いつしか大井川鉄道の早朝臨時列車は運転されなくなり、当然の様に下り大垣夜行の金谷臨停もなくなってしまいました。
 そんなおり身延線撮影で車での撮影に自信をついたので、思い切って早朝の金谷―菊川の大カーブ目指して出掛けることにしました。まぁ、30年前の事ですので細かい事は忘れましたが前回の身延線は連休中で深夜の東名高速は大型トラックが少なかったからでしょうか、ほとんど感じませんでしたが、この時は大型トラックの狭間にになって、免許取りたての運転では大型トラックの中で流れに乗れず、パッシングや煽られの連続で生きた心地がしなかったことだけは憶えています。
 さて、なぜそこまでして金谷―菊川を目指したかと言うとこの陽の出が早い時期しか撮影できないブルトレに加えて、その日は宮原のゴハチが牽引する6102レが運転されていていたからでした。
 前日に宮原機関区の当直に機関車の確認をしたところ、お気に入りの機関車が入ると言う事でしたので、苦労して撮影に向かったのですが、いざやってきたのは白Hゴムのゴハチ(たしか44号機だったかな?)で、”ここまで苦労してやって来たのにぃ~!”しばらく言葉を失うくらいにガッカリした事を憶えています。仕方なく撮影したのがこの2枚ですが今見返してみると、この2枚のために撮影に向かっても何らおかしくない被写体に見えてしまうのが時代の流れというものでしょうか?


 浜松機関区には旅客(荷物)用にEF58が、貨物用にEF60が配置されていました。当時、東北線のED71等はシールドビーム2灯改造(当時ブタ目改造等と言っていました)が進められていたのに対し、東海道のEF60は白熱灯のままでしたので良い被写体になりました(その後、ブタ目改造は東海道線のEF60にまで及びました)。そしてそのうち何両かは関が原対策と称して通年スノーブロウが取り付けられていて、たまらない魅力をかもし出していました。   81,05,30 金谷―菊川 

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