祇園精舎

気の向くままの徒然日記

禍も三年経てば用に立つ

2008年01月17日 | ひとりごと
13年前


阪神淡路大震災から過ぎた年月。早いものだ。

大阪にて
勤めだしてから、学生の時の仲間が自分の家で明け方まで飲んで話をしていた。

振り返ると
これが自分の部屋で学生時の仲間が集まったのが最初で最後であったなぁ


明け方に解散して、仕事の時間まで寝ていると揺れを感じて地震だと意識があった。
でもおさまることがなく、どんどん揺れが大きくなり恐怖を感じた

家が潰れたら生き埋めで閉じ込められるか…最悪潰されてそのまま死んでしまうのかな…と思いながら天井を見つめていたっけ

話に聞いた大きな余震もしばらくしてきた。大きく長かった。

施設で体感したことはあるが実際の天災の地震は安全という保障がない。
だから怖かったのが覚えている。


TVをつけても近畿にて地震が発生で震源地は不明。

会社に行っても普段通り。電話もできた。


しかし時間が経つごとに事態が深刻なのがわかり機能がどんどんマヒしていく。
電話も交通も絶たれているので仕事は開店休業状態に変化していった

震災地の状況が詳しく報道されるとまさかあの地震がこんな惨事になっているとは…


朝、遊びに来ていた友人は大丈夫なのか?

当時、携帯は今のように普及していなかったので確認する手立てはなかった。
とはいえ連絡はマヒしていただろうが…


後ほど連絡がとれたが、

一人は自宅に着いて寝るところで体験し、自分と同じく無事。


一人は高速道路を丁度走っていて揺れて怖かったという。
そういえばバイクで来ていたっけ。
道路が決壊しなくてよかった…


一人は家が被害にあったという。
でも自分のところに遊びにきていたから無事やったんやろう…と言っていた。
よくこの日に集まったものだ…


親しい人が亡くなることは幸いなかった。
でも後で話を聞くと被害や亡くなったという人も聞いたのわ悔まれる。



ひと昔だけどよく覚えている。
とはいえ復興も進み痛々しい跡もない。それに影響のない生活を送っている。
過去の出来事。

とはいえ天災っていつ何時何があるか…


友人とは連絡したものの家族には一切連絡しておらず、数日後に親から連絡がきて怒られたっけ…
被害にあっていないとはいえこちらから連絡をしなかったし、先方からはとれなかったので心配したらしい。

考えるとスマンことをしたと思える。


次からは想っている人や想ってくれる人には安否の一報いれるようにするよ。
できるだけ