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「逝き方」は「生き方」です。人は生きてきたようにしか死ねないのです。自分らしく生きる。家族の絆を強くする。葬儀やお墓の準備をすることが大事だと真宗大谷派祐光寺僧侶で「寺ネット・サンガ」代表の中下大樹さんは著書の中で述べてます。
あなたの死を通じて、あなたの周囲にいる人が「私もあんなふうに死んで逝きたい」「父や母は最期の最期まで立派だった」と言われるのか、「あんなみっともない最期は嫌だ」「あんな死に方は最悪だ」と言われるかは、生前にどれだけ〈死〉というものを正面から考えていたかによって、自ずから決まってくると思うのです。
現代社会は忙しすぎる。葬式の時にしっかりと“悲しむ”ことをしなければ、一体いつ人は、悲しむことができるというのか。じっくりと涙を流し、故人との別れを惜しみ、悲しむ。その悲しむ時間が葬式である。残されり者の心情は、その儀式があるとないとでは、だいぶ変わってくるのである。だから葬儀はした方がよいというのが私の考えである。
Why should you be so sad?
泣きたい時に泣いてもいいんだよとそっと寄り添う気持ちを持ち続けていたいものです。
應憐半死白頭翁
此翁白頭眞可憐
伊昔紅顔美少年
公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光祿池臺開錦繍
將軍樓閣畫 仙
一朝臥病無相識
三春行樂在誰邊
宛轉蛾眉能幾時
須臾鶴髪亂如絲
但看古來歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲
あなたは“その時”に「ありがとう」を言える人がいますか?
(中下大樹「死ぬ時に後悔しないために今日から大切にしたいこと」)