E表現研究所の「Eから始まる」

E表現研究所所員の、E生活やE活動を自由に語り合うサロンです。

円高メリットと震度5弱

2011-08-02 16:24:39 | 地震

円高が続いています。

ウン十年前に高校時代の親友と二人で、

成人式の思い出に、豪華アメリカ船に乗り込みました。
アジアクルーズです。
台湾・フイリッピン・マカオ・香港に行きました。

どこでも笑み満開で、何を観ても乙女のように笑い転げました。

当時、1ドルが360円の時代でした。

私は家庭教師のバイト代と足らない分を親から借りて参加しました。
両親は、若い時の体験が大事と、応援してくれました。

船の旅は高級感いっぱいで、広くって、映画やショーがあって、
毎回、広い食堂のいつも決められたテーブル席につきます。
決まったボーイさんがいすを引いてくれて、完璧に給仕してくれました。
高級フランス料理店にいるようでした。

当時は、こんなサービスは肝をつぶすような経験で、映画の中だけと思っていました。

大きくてがっちりしたアメリカ人の退職旅行者が多く乗り込み、
当時の日本人には慣れていない珍しいパーティーの夜は、
アメリカのリッチさに興奮したものです。

甲板の鉄の階段を上がるフォーマルドレスを着た
綺麗な女性がだるまさんのような体に似合わず細い足に高いピンヒールを履いていました。
凛として、背筋を伸ばし足首が締まって素敵でした。

日本人なら年齢的にも辛くってペタンコ靴でしょう。

その点に、アメリカが集約されていて、あれこれかってに私は自己流分析をしました。

その場面が未だに脳裏から離れず、足をじょうぶに人生を楽しむと、教えられ、
以来、私は足腰を無理せず、鍛える必要性を考えるようになりました。
帰国後、創作ダンスに打ち込み、発表会に向けて踊り込みました。

当時の船中は、どんだけ食べても一緒の値段なので、もちろん若さにまかせて
恥ずかしいほどたっぷり食べました。

食べ過ぎは良くありません。罰が当たります。
夏休みでしたので、台風の目を避けて迂回していた船も大波に揺られ、
気分が悪くなってしまって大失敗でした。

しかも、安い旅費しか出せなかったので、ベッドは最悪の船底です。

あれからウン十年。日本は本当に高度成長を遂げました。
台風やゲリラ豪雨や地震に襲われても、なんとかやっていけます。

昨晩の地震は震度5弱でしたが、最近の私は、それくらいって感じで慌てません。

海外や国内からすぐさま「大丈夫?」ってメールや電話やスカイプでメッセージが届きました。
ありがたいです。

現在は 1ドルが77円を挟んでゆーらゆらー。
ドルで物を買ったら、昔より4倍以上の贅沢ができるようになる計算です。

今回の大震災の影響で、力のある音楽家TH氏は海外に転居しているようです。
確か、昔の中国でお偉い孟子さんは勉強のために家族で
転居を繰り返したように聞きおぼえがあります。

今、企業が海外に出るか日本に残留か決断を迫られているようなニュースに出会います。
そのうち、企業ではなくって人間が仕事と安全をもとめてTH氏のように日本脱出をするような気がします。

当然、私の住まい近辺も東海地震予想で、危ないので、震度7~8くらいに出くわすと、
ここには住みたくない人が出てきそうですね。

私ならこのチャンスにどこの国に引っ越そうかな????

ブータンかな? いえいえこの国は外国人を入れないようです。

アメリカかな?
タイフーン・竜巻・・・怖いなあ。それでも・・・。
今も福島県近郊で放射能汚染や津波の後遺症で苦しんでいらっしゃる方が多いのに不謹慎な私です。
心が萎えるからせめて、空想だけでも楽しませてください。
・・・・・・・
・・・・・・・


1ドルが7円になったら楽チンに、生活できるかもね・・・・。でも、そういう日はあり得ないし・・・。

なんて楽しい空想に耽っていると、
地震が少なくって、明るい人種で、芸術の街で食事が美味しくって・・・・。

そういう国はユーロ仕立てですね。
やっぱり私には不可能ですかね。

愚痴っていても、そういう内にだれでも一番極楽な所に行けるから、今を精一杯生きなきゃね。
今の家からは引っ越せなくっても、せめて、ユーロ圏に旅行するのも悪くないねえ・・・。

観光立国日本にするには、日本からも外国にいかなきゃねえ。
それにしてもユーロはドルほど安くないね。

「アジャ・パー!!! ユーロ安で円高になってーーー。
でなきゃ免税店でドル使うしかメリットないやんね。」

                 また豪華客船に乗りたいTTT





 

 

 


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
豪華客船 (M.H)
2011-08-04 00:06:08
タイタニックを思い浮かべました。
無事でよかったです・・・

素晴らしい思い出ですね。
私の二十歳前後の時代は、そういう余裕もなく、小さな世界の中で必死に生きていたような気がします。

震度5弱の地震にも、一人で怖がっていました。自分のことよりも、離れて住む娘たちのこと。すぐに電話とメールで安否確認されましたが。
いずれくると言われる東海地震にはつながらないと知り、安心と同時に、残念な気持ちも。
誤解を招くような言い方ですが、これは、大きな地震が一度にドカンとくるより、今回くらいの規模の地震が少しずつ何度かに分けてきてくれないかという願望です。

それにしても、地震が起きたとき頭を過ったのは
「待ってーまだ片付けてない・・・」
部屋を片付けていないところに地震がきたら、とんでもなくひどいことになりそうで・・・
でも、とてつもなく大きな地震だったら、そんなことも言っていられません。不謹慎でした。
返信する

コメントを投稿