青梅市の河辺のグランド 多摩川の河川敷 その北側の崖に相当するところに、移設したという話ですが、碑が
皇紀2600年と読めます。右側に たぶん 河辺開墾新地 とかに読めます。しかし、ネット検索ではこのあたりは古い町()でもあり開墾した事は出てきません。おまけに、河川敷のすぐ脇なんてねぇ
裏側
6名ほどの施行者の名前が(画の下の方) 不思議なのは、昭和15年5月施行 ⇒ こっちの年は、皇紀2600年だから納得
左の 昭和19年4月施行 とはなんぞや? 2つ記載があるのが不思議です!!!!!!
深読みすれば、昭和19年に、さかのぼって昭和15年を足して無理くり 皇紀2600年にしたのか???
当方の印象では、日本が背伸びして列強各国と肩を並べようとしていた時代で、皇紀2600年なんか無理くり作って、大々的にお祝いして、やがて戦争に突入していったイメージでしかないです。
追記
昭和19年 青梅線が国有になった
吉川英治が吉野村に疎開
以下は、他の方のHPより転用です 感謝!謝!
●河辺駅からの砂利運搬鉄道
青梅マラソンのゴール地点として知られる青梅市総合体育館。かつて、ここには、昭和石材河辺工場があった。多摩川の河原より砂利を採取し、トロッコで崖上に引き上げ、ここで加工した。工場からは河辺駅に至る弧を描く引き込み線があった。鉄道は昭和2年から昭和40年の間使用されていたという。現在はその名残を確認することはできない。
訂正:以下の文は、小作駅からの砂利取り用の線路と思われます。
UPしている碑より少し川下の方まで鉄道がきていました。子供のころは廃線の近くから河原まで降りることができました。そこにはプールがあり運営されていました。多摩川の水が直接だったのか冷たいプールでした。
たぶん今でも川の流れていない鉄道が下を通るために作られた掘割の上に橋がかけられていると思います。
精神だけでなく、肉体もだそうです。
海外に住んでる時期もあって、
戦争が終わったのは、海外の認識では8月15日ではないそうです。
あと、天皇陛下は、呼び捨て。
まぁ、外国じゃそう言えばそうカモと、逆に
関心させられました。
場所が変われば、モノも変わる。
ヨセフと結婚してるのに、なぜ神の子を産んだ?
遺伝子的に整合とれないだろうに
イエスさんが誕生したのは12月25日じゃないです
受胎告知が3月25日 早産??????