緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

朝焼けの空を眺めながら

2012年09月09日 | 医療

がん性腹膜炎で腹部の膨満が強く、
横になると苦しくて眠れない患者さんがいました。

横になると下大静脈症候群を呈し、
循環動態の変化で表現しがたい不快感なのだと思いました。

腹壁の伸展痛をフェンタニルとケタミンとフルルビプロフェンで緩和しつつ
日中は起きていたいという希望から
短時間作用型のミタゾラムで入眠から朝まで持続投与していました。

相当の高用量の薬剤ばかりでしたので、
安全域が狭く、
深く眠ると容易に呼吸回数が減少しました。

病棟スタッフもミタゾラムの調整に不安があったようでしたので、
仕事も溜まっていて夜も遅い時間までいましたから、
気になって病棟をのぞいてみました。

消灯した暗い部屋で
2人がかりで看護師さん達が背中をさすり、
痛い・・、苦しい・・という患者さんの傍にいて
声を掛けていました。

フェンタニルの1時間量の早送りをし、
ケタミンは200㎎を300㎎/日に流速を上げ、
ミタゾラムの流速を予定していた速度にあげ、
しばらくしたら、横になれたようでした。

大丈夫だと思います・・

という看護師さんに言葉に
一旦離れました。








それから1時間ほどして、再度病室にそっと行くと
患者さんは、ベットの上に座っていました。


苦しくて・・

10分位で激痛も来て、
起き上がった・・・



看護師さんからは、
体も辛いと思うのですが、
ご家族が帰ってからがいつも辛くて・・
寂しさもあるんだと思うのです。
と、聞いていました。


痛み止めを調整しながら、

しばらく、居るよ。

そう声をかけて、座っていました。








その前の日に、おかあさんの話をしたことを思い出していました。
多分、今の私より若い年齢で亡くなったおかあさんでした。

夢で会える?

ずっと前に、出てきてくれた。
怒られたの。

どうして?

悪いことをしたから。

そうなんだ。
最近は、会えないの?

夢を見ないから・・
出てきてくれてるのかもしれないけど、
私が、気が付いてないだけかもしれない・・

病気のお母さんは、どんな風だったの?

がんばってた・・・
おかあさんなら、今の自分をわかってくれる・・








この体で、どんなことに耐え、何を考え、時を刻んでいるのか・・

そんな前日の会話を思い出しながら
この夜も
うとうとしながらも
ただただ、横になるのが怖いという患者さんの傍にいました。

呼吸数、体の使い方を見ていて、
少なくとも、今夜は横になって寝られると見極め、
薬剤の調整を続けました。

そして、やっと、自分から体を横にしようとされました。
ゆっくり動きながら、


10分もすると、また激痛が走るかもしれない・・


大丈夫。傍にいるから。





鎮痛薬とミタゾラムの割合を変え、
呼吸数が18回/分以上あることを確認しながら、
付き添っていました。
一先ず、今夜は一度電話をすれば
病棟看護師さんでも大丈夫な状態になったと判断でき、
帰路につきました。

一度電話を入れ、
若干の眠りの浅さに
ミタゾラムを増量してもらうように伝え、
朝4時半にもう一度電話を入れ
大丈夫であることを確認しました。

この夜の経過を見ていて、
すでに、深い鎮静をせざる負えない身体状況だと思われました。




でも・・・

患者さんは、本当に伝えたいことを
伝えたい人にきちんと伝えられているのだろうか・・


苦しさにあえぎ、眠った方が楽・・

そうした患者さん達のケアに
何度も立ち会わせて頂いてきました。



そうなる前の苦しくないときにこそ
声をかけ、耳を傾けることが
どこまで私たちはできているのだろう・・
もっと、真摯に身を振り返らなくてはいけないのではないか・・
患者さんに託された人生を
背負いきれることはないにしても
その努力ができているのだろうか・・

時々、空を見上げては、何人かの見送った患者さんに問いかけます。




4時半に入れた電話の後、
明け方の空をみながら、

西田幾太郎の短歌の一篇ならぬ一辺を思い出していました。


わが心深き底あり 喜も憂の波も とどかじと思う


コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« text-Message | トップ | イギリスで »
最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぴすた)
2012-09-09 20:14:18
このようなやりとりが緩和医療の醍醐味だと感じています。
返信する
Unknown (あや)
2012-09-09 20:52:08
亡くなる直前に「私にはまだ空がある」という言葉を聞きました。それが力強い意志なのか、ただひとつすがりついていた現実なのかはわかりません。
生きていること、死んでしまうことの意味を深く考えると暗闇に吸い込まれてしまいそうです。
友人に「知りたいことがあるなら考え続けるしかないけれど、残った側にすれば、ある選択肢が失われただけだから、次の行動に移るしかないということだね」と言われました。別の友人は「心をそこに持っていかないようにしないとね。それは自分自身の為」と言います。とはいえ、みな感情と理性は別々の人間に支配されてるような気がします。
これも人生修行のようなものなのかも知れませんね。
今更ながらですが・・・2011.3.14のブログのコメント欄に個人名が記載されたままになっております。お手数をおかけいたしますが、できることなら削除いただきたくお願い申し上げます。
返信する
Unknown (ALL)
2012-09-09 20:59:11
先生の思いには到底かないませんが、私も様々な思いがあり、この記事を拝読して胸がいっぱいになりました。

>本当に伝えたいことを伝えたい人にきちんと伝えられているのだろうか・・
恥ずかしながら、大昔PCUで勤務していた際、このことは漠然としか意識しておらず、はっきりと看護目標にしていなかった自分がいます。

がん看護において、常に意識しながら関わる必要があると、患者としても感じています。
早期だったとしても、病気についてどのくらいご家族や親しい方々と「分かち合い」が出来ているか、状況を把握するとか、ご本人のコーピングのスタイルだとか、ケアの段階は沢山ある様に思い直しております。

いつも考える記事をありがとうございます。
返信する
なぜだか… (kana)
2012-09-09 23:23:19
読んでいて涙が出ました。

明日からまた、真摯に向き合いたい…
疲れを感じていた中で、ふっと力がわきました。
返信する
Unknown (ストーン)
2012-09-11 01:21:21
先生も私と同じ気持ちだと感じました。

3月にスキルス胃癌で再発の腹膜ハシュで主人を亡くしました。再発した頃は腹壁の伸展が痛くて抗がん剤をするまでは坐位しか寝れなかったです。坐位のまま寝てる姿はせつなかったです。そして、腹部の痛みは容赦なく襲い同じく夜は寝れず横になっては頭と膝をついて丸まった姿勢に。ミタゾラムをしているときは安堵しましたが、とても怖かったです。夜が一番怖いと言っていました。亡くなる三週間前から毎日付き添いました。
この日記を読んで、そうだった…と振り返りました。同じ気持ちでした。結局、残したい言葉を残せないままに逝きました。タイミングも難しいのだと痛感しました。主人に寄り添いながらどのような死を迎えさせてあげたらよいのだろうか…ただそれだけに絞り寂しくなく苦痛を取り除き安楽にさせたい…それだけでした。
看病中は先生の日記をずっと読んでました。これからも読ませて勉強させてもらいます!
返信する
お疲れ様です (KAYAU)
2012-09-16 18:28:30
先生の、患者さんと向き合う時の真摯な姿勢に心から尊敬の念を持っています。
先生に何回か、ご相談とも愚痴ともつかぬことを申しあげました、ブログを通じて知り合い、その後私の大切な存在となった友人が、今月始めに、旅立ちました。
悪性リューマチで20数年、その間に薬の副作用から結核を発したり、胃腸の機能が低下したりと闘いの連続、最期は腫瘍を抱える体となりましたが、ご主人様とお嬢さんが医療関係者でしたこともあり、ご自宅で最期を迎えたようです。

毎日どんなに辛くてもブログを綴っていた彼女が、ピタッとブログを止めたのが2ヶ月前。
彼女なりの、意識を持った人生の閉じ方の最初なのかもしれない…と感じたので、私も連絡をしませんでした。ご家族を大切に思っていた彼女でしたから、他人が入る場は無い、と考えました。

でも、独りになる夜の時間。どんな気持ちだったのだろうかと思います。

痛みは人間から人間性を奪うものだと、旅立った友人達の、日中は潔い闘いをしていても、夜との対峙、死との対峙を想う時に思っていました。

先生やスタッフの方々のように、患者さんに寄り添い、分かち合おうとして下さる医療関係者の方々に、ただ、頭が下がる想いです。
返信する
鐘の音と空 (わかめちゃん)
2012-09-18 00:11:02
夜、病棟の灯が消え、しばらくすると、毎晩状態が決まって悪くなり、薬を投与しても1、2時間が限度で、うつらうつらしながら朝を迎える、そんな時がありました。
その病院はキリスト教の病院だったので、朝6時に鐘が鳴ると、夜が明けた空を見ながら、「今日も生きていられた」と思いながら眠りにつく毎日でした。
ある時、そんな状態を知ってか、看護学校の実習生を指導していた先生がいらっしゃって、学生さんができる看護を一緒にして下さいました。
このブログを読んで、あの時の辛かったこと、そして、あの時の鐘の音が響く空のことを思い出しました。
返信する
Unknown (リョウ)
2012-09-20 23:22:12
はじめまして。
今年の7月に父を膵臓癌で亡くしました。

先生のブログを読み、父の最期と重なり涙がでました。
父もきっと夜が怖かったのでしょう…亡くなる二週間前からは家族と離れるのを嫌がり母や私が交代でいつも傍に居ました。
疼痛コントロールもなかなかうまくいかず私は傍にいるだけで何もしてあげることが出来ませんでした…
ただ…鎮静を提案された時、父が入院前に“最期はみんなの声をききながら逝きたい”と言っていた事を思いだし、鎮静はしないことにしました。
最期は家族に囲まれ、声をかけられながら亡くなりました。これで良かったのか今も考えてしまいます…
また、父が亡くなった今も病気について知りたいという思いが止まりません。




返信する
ぴすたさん (aruga)
2012-09-22 23:11:48
コメントありがとうございます。
そうです、ご指摘の通り、緩和ケアの醍醐味だと思います。
加えて、医療全般の根底にあるものであってほしいと思っています。
返信する
あやさん (aruga)
2012-09-22 23:18:43
>これも人生修行のようなものなのかも知れませんね。

まさに、生きるということそのものだと感じます。
様々な感情をここにシェアしてくださり、ありがとうございました。

コメント、下げました。読者の方のご支援で、他の読者の方の希望が繋がったことは記憶にとどめ続けたいと思っています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

医療」カテゴリの最新記事