幼稚園や小学校低学年の体育の時間でサッカーをやっていると
一つのボールをおって、2つのチームがわーっと同じ方向に走り
誰かが蹴ると、そちらへわーっとなだれこみ、
攻め方なんて、何もなかったなあと思いだします。
園庭サッカー・・・
若いスタッフに心理支援を意識してもらった時、
「傾聴しています」
・・・・・・釈然としないこの言葉に対する印象を、
どう表現すればよいか模索していました。
傾聴しています・・って
戦略のない園庭サッカーみたい・・と感じました。
子供たちのサッカーはとてもエネルギッシュ。
何となく聞いているだけの傾聴は、
エネルギーはあまり必要ないのがちょっと違うのですが・・
傾聴って、聴き手の主観をいれたり、どこかに誘導したりはしません。
でも、何故、耳を傾けるのかという目的はありますし、
その時、話している感情はどのようなものか知るためには、全身を傾けます。
何よりも、信頼して話してくれていることに
責任を背負わなければとも感じます。
パスをまったり、アシストしたり
フェイントをかけたりすることは
なんとなく15分耳を傾けることとは違うのです・・
一つのボールをおって、2つのチームがわーっと同じ方向に走り
誰かが蹴ると、そちらへわーっとなだれこみ、
攻め方なんて、何もなかったなあと思いだします。
園庭サッカー・・・
若いスタッフに心理支援を意識してもらった時、
「傾聴しています」
・・・・・・釈然としないこの言葉に対する印象を、
どう表現すればよいか模索していました。
傾聴しています・・って
戦略のない園庭サッカーみたい・・と感じました。
子供たちのサッカーはとてもエネルギッシュ。
何となく聞いているだけの傾聴は、
エネルギーはあまり必要ないのがちょっと違うのですが・・
傾聴って、聴き手の主観をいれたり、どこかに誘導したりはしません。
でも、何故、耳を傾けるのかという目的はありますし、
その時、話している感情はどのようなものか知るためには、全身を傾けます。
何よりも、信頼して話してくれていることに
責任を背負わなければとも感じます。
パスをまったり、アシストしたり
フェイントをかけたりすることは
なんとなく15分耳を傾けることとは違うのです・・
その中に昨今、心理学も心理学用語も一般的になってきたが、「傾聴」の、本来の意味合いと実践に関して、果たして、真に理解されているのだろうか?という、危惧されていらっしゃる方の文を目にしました。幼児・児童心理学、教育学にも大いに影響がある事だと、私も感じました。
単に黙って相手の言い分を聞いているだけ、ともすれば聞き流している…、という、かなり、憂うべき事態もそこにはあるかもしれません。
訴えの中から真意や本音を感じる、汲み取る。難しい作業だと思います。
だからこそ、医療者のプロの方々には習得して頂きたい、と願うのは、一般人・患者の我が儘でしょうか…。
ご指摘のこと、まさしく我が意を得たり・・です。
傾聴という便利な言葉を用いて、内容はというと、聞き流している・・・これでは、プロフェッショナルな集団ではないということ、そのとおりなのです。
そうなんです!!!
ちーさん
ケアがナースの王道である以上、高いことを求められますよー
9月17日(次の記事をご参照ください)、遠方でいらっしゃいますか?プロ中のプロを招いて、チームナースを刺激してもらおうと思っています。
その言葉に値するスキルを持ち合わせないと、言葉に負けちゃいますねぇ・・
先日まで、傾聴ボランティアという、名称で、、ボランティア活動をしている方がおりました。。。
でも、ボランティアとしてなら。。。。
「お話相手。。。普通の生活感覚を、一時でも患者様やご家族に、、、、、!!!」が、良いのではないか?ということで、「お話相手。」という名で、呼ばれるようになりました。
たかが、名前の呼び方なんですが。。。。
でも、我が病院でのボランティアのあり方を示す、重要な名前の変更でした。。。
緩和ケア病棟だけのことではありません。。。
外来待合でも、、、他の入院病棟でも。。。。
図書の整理をしていても、お話相手、、、できればいいなぁと思っています。
お話相手・・・
優しい、よい名前だと思います。
傾聴ボランティアから、変更になったとのこと。とても、大切なことだったと思います。
さてさて、傾聴。言葉だけが先走りしている印象を受けますよね。カナダでListningについて学んだ時、”聴”の文字を解剖して、耳、自分(十ではなくて、Youとなるそうで)目(四ではなく、回転させて目とする)、心これの統合がListningです。と教わりました。恥ずかしながらその時、しみじみと”聴”の意味を考えました。
そして経験を通して、話を聴いていると”心が痛む”自分にも気付きました。その人の苦しみを感じるからです。同情とは全く違います。
話す側も聴き手の受け入れ方の違いは明確に感じるようで、もっと会話がオープンになり心の奥深いところで結ばれるような、信頼とでも言うような強いものが感じられます。こういう経験は自分の糧になりますが、そういう損得のものではなく、人間として必然的なもので、、、、(誰しもこういう風に聴いてもらえる権利があると言うか、人間のニードの一つであって)
先入観もなく、誘導する会話でもなく、全身を使って、その人そのものを受け入れる態度、、、言葉で言うのは簡単ですが、難しいものなのです。でもそういう姿勢があれば誰にでもできることです。
そして傾聴なしでは、尊厳は語れません、、、。
頂いたコメントから、聴くことの、難しさを改めて感じました。
心が痛む自分・・共感という言葉も、実にラフに使われるので、あえて、共鳴といいましょうか。
この真の意味の傾聴を、後進に教えるのがものすごく難しいです・・・