鹽竈神社の参道(女坂)の鳥居をくぐり、左に曲がると鹽竈神社。
右に行くと、勝画楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a4/12ae4642c73654d9ccd1acced331c348.jpg)
写真の左が鳥居側、正面奥が鹽竈神社、手前が勝画楼。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5d/6a4480f75f7e7e83120eaaa1a3c15167.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/63/9b7c44311ad1f0d0af22556f917ed8c8.jpg)
良い感じの石段を登ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/bf/f7b2c2ed6726196c2c4f41f8af1419c7.jpg)
あれ!
行けない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/0c/ad1b2205faeddad80fcc8d151adf43fc.jpg)
新聞によりと、廃屋のようになっていた勝画楼の外観は修理されたと書いてあったのだが、周辺がまだ整備されていないようだ。
勝画楼とは、かつて法蓮寺の書院。
江戸時代には、鹽竈神社を管理する別当寺として勢力を誇っていたが、明治の廃仏毀釈により廃絶。
今では書院の勝画楼が残るのみなのだが、数年前までは、まるで廃屋のようだったが、市が管理することにより、修理が始まった。
海側に向かい、掛け造りの勝画楼は、画にも勝るものとされて、伊達家歴代藩主にも愛された。
右に行くと、勝画楼
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写真の左が鳥居側、正面奥が鹽竈神社、手前が勝画楼。
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良い感じの石段を登ると
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あれ!
行けない。
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新聞によりと、廃屋のようになっていた勝画楼の外観は修理されたと書いてあったのだが、周辺がまだ整備されていないようだ。
勝画楼とは、かつて法蓮寺の書院。
江戸時代には、鹽竈神社を管理する別当寺として勢力を誇っていたが、明治の廃仏毀釈により廃絶。
今では書院の勝画楼が残るのみなのだが、数年前までは、まるで廃屋のようだったが、市が管理することにより、修理が始まった。
海側に向かい、掛け造りの勝画楼は、画にも勝るものとされて、伊達家歴代藩主にも愛された。