妖怪百物語に見られる安倍晴明
2019.12
「妖怪百物語 開巻消魂(カイカンショウコン:まきを開けばたまげる)」より
銅精
式部卿宮(しきぶのきょうのみや)が、東三条殿(今の山城国愛宕郡岡崎村の辺りである)に住んでいた頃のことである。
ある夏の夕暮れ、非常に暑かったので、庭に水を打ったりして、少し涼しくした。
やがて宮様も、庭に出て来た。
しばらくすると、月は如意山の頂に昇り、松風も静かに吹いて来、池の水は、波を生じて、涼しい風が、衣に吹きかけて来て、とても、風情があった。
宮様も、興を催し、夜の更けるのも忘れ、遊んでいたが、法勝寺(ほうしょうじ)の鐘が三更を告げる頃、ふと築山の方を眺めると、身長が三尺ばかりの怪しげな男が、松の木の間に出入りしているのが見えた。
それから、宮様は、宿直の武士を呼び出し、「あのものを捕らえよ」、と命令した
。宿直の武士は、謹んで命令を受けた。
すぐに、築山に至って、かのものを捕らえようとしたが、
影も形もなかってので、戻って、そのむねを奏上いた。
しかし、その後の夜更け毎に、かの怪物が現れた。
そのことを、報告すると、宮女たちは、怖れおののき、夜になると、決して、御殿の外に出る者がなかった。
宿直の武士も、捕らえようがなく、宮様も、このことを深く怪しんだ。
ある日、陰陽師の安倍晴明を召しだし、この事を占なわせた。
すると、睛明は、このように言った。
「これは、銅精です。辰巳の方角に永いこと、埋められていたものです。」と奏上した。
急いで、その示された場所を掘らさせると、大変古い銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)というものが、出て来た。
編者(これは、妖怪百物語の編者である大木月峯)曰く、
世の中には、このようなことが大変多い。
かの三井氏(三井財閥の)の祖先は、伊勢の国の松坂において、金精を見て、井戸の中の黄金を得た。このように、これらは皆、金の気が土中にこもったもので、時として外にあふれ出て、それが他の物に映って、象(かたち)が現れたものである。
なお、海上に蜃気楼を生じたのと、同じ現象である。これは、物理的なことを知らない者が、奇とし怪とすることで、遂には心経の病を起し、物に狂うのは、大変浅はかなことではないのか?
宮様が、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)を召して、原因を究明させたのは、大変賢い行為である、と言うことが出来るであろう。
編者注:土中から銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)が出てきたとある。これは、古代の遺物である銅鐸(どうたく)の小さいものか、その類であろう。江戸時代の随筆などには、古墳からの遺物について、不思議な物(奇物、珍品)として言及したものが、しばしば書かれている。
この「 妖怪百物語」 大木月峯 (鹿之助) 著、 川勝鴻宝堂、 明20年8月出版、は、内容的には、江戸時代のものであるので、この項を紹介しました。
2019.12
「妖怪百物語 開巻消魂(カイカンショウコン:まきを開けばたまげる)」より
銅精
式部卿宮(しきぶのきょうのみや)が、東三条殿(今の山城国愛宕郡岡崎村の辺りである)に住んでいた頃のことである。
ある夏の夕暮れ、非常に暑かったので、庭に水を打ったりして、少し涼しくした。
やがて宮様も、庭に出て来た。
しばらくすると、月は如意山の頂に昇り、松風も静かに吹いて来、池の水は、波を生じて、涼しい風が、衣に吹きかけて来て、とても、風情があった。
宮様も、興を催し、夜の更けるのも忘れ、遊んでいたが、法勝寺(ほうしょうじ)の鐘が三更を告げる頃、ふと築山の方を眺めると、身長が三尺ばかりの怪しげな男が、松の木の間に出入りしているのが見えた。
それから、宮様は、宿直の武士を呼び出し、「あのものを捕らえよ」、と命令した
。宿直の武士は、謹んで命令を受けた。
すぐに、築山に至って、かのものを捕らえようとしたが、
影も形もなかってので、戻って、そのむねを奏上いた。
しかし、その後の夜更け毎に、かの怪物が現れた。
そのことを、報告すると、宮女たちは、怖れおののき、夜になると、決して、御殿の外に出る者がなかった。
宿直の武士も、捕らえようがなく、宮様も、このことを深く怪しんだ。
ある日、陰陽師の安倍晴明を召しだし、この事を占なわせた。
すると、睛明は、このように言った。
「これは、銅精です。辰巳の方角に永いこと、埋められていたものです。」と奏上した。
急いで、その示された場所を掘らさせると、大変古い銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)というものが、出て来た。
編者(これは、妖怪百物語の編者である大木月峯)曰く、
世の中には、このようなことが大変多い。
かの三井氏(三井財閥の)の祖先は、伊勢の国の松坂において、金精を見て、井戸の中の黄金を得た。このように、これらは皆、金の気が土中にこもったもので、時として外にあふれ出て、それが他の物に映って、象(かたち)が現れたものである。
なお、海上に蜃気楼を生じたのと、同じ現象である。これは、物理的なことを知らない者が、奇とし怪とすることで、遂には心経の病を起し、物に狂うのは、大変浅はかなことではないのか?
宮様が、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)を召して、原因を究明させたのは、大変賢い行為である、と言うことが出来るであろう。
編者注:土中から銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)が出てきたとある。これは、古代の遺物である銅鐸(どうたく)の小さいものか、その類であろう。江戸時代の随筆などには、古墳からの遺物について、不思議な物(奇物、珍品)として言及したものが、しばしば書かれている。
この「 妖怪百物語」 大木月峯 (鹿之助) 著、 川勝鴻宝堂、 明20年8月出版、は、内容的には、江戸時代のものであるので、この項を紹介しました。
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